
プレ男山どうしがけんか!? それを、出雲の神さまがとめに来たの?

メル美ところが、とちゅうで「もうおさまった」って聞いて、その場にすわりこんじゃったんだって(笑)。播磨の地名のいわれなの。
こんにちは、Dr. Taro です。 神話の解説、今回は日本の『播磨国風土記』の大和三山の争いと阿菩大神です。『播磨国風土記』の原文(ウィキソース「古風土記/播磨國風土記」)の揖保郡の条を読みました。同じ風土記の話はせのびした巨人と、さかずきの父さがしと十四の丘と火明命へ。人の名や地名には、原文にない読みがなはつけていません。
プロフィール
| 話 | あらすじ |
|---|---|
| 神阜 | 出雲の阿菩大神が、大和三山の争いをとめに行くとちゅう、争いがやんだと聞いて、舟をふせてすわった丘 |
| 大和三山 | 原文では「大倭国の畝火・香山・耳梨」の3つの山 |
| 鹿来墓(香山) | 伊和大神が国をしめたとき、鹿が山の峰に立った。のちに「香山」とあらためた |
| 家内谷 | 香山の谷。垣でかこんだような形 |
| 宗我富 | 天皇が井戸をほらせた岡。水が清くつめたかった |
1. 山どうしの争い
- 揖保郡の上岡の里(もとの名は林田の里)の話です
- 出雲の国の阿菩大神は、大倭(大和)の国の畝火・香山・耳梨の3つの山が、たがいにあらそっていると聞きました
- 阿菩大神は、その争いをいさめてとめようと思い、出雲から大和へむけて出かけました
2. 舟をふせた丘
- ところが、播磨のこの地まで来たところで、争いはもうやんだと聞きました
- 阿菩大神は、のってきた舟をふせて、そこにすわりこみました。それで、その丘を「神阜」とよぶのだ、と風土記は書いています
- 丘の形は、ふせた舟ににている、とも書かれています

メル美せっかく来たのに、もう終わっていた…。でも、けんかがおさまって、よかったね。
3. 鹿の来た墓
- 同じ揖保郡の香山の里は、もとは「鹿来墓」という名でした
- 伊和大神が国をしめたとき、鹿がやってきて、山の峰に立ちました。その山の峰が、墓のような形にも見えたので、「鹿来墓」とよんだのだといいます
- のちに、道守の臣が長官になったとき、名をあらためて「香山」にした、と書かれています
- 香山の谷は、垣でかこんだような形をしているので、「家内谷」とよぶのだといいます
4. 清くつめたい井戸の水
- 菅生の山のあたりの岡では、品太天皇がめぐってきたとき、この岡に井戸をほらせました
- その水がとても清くつめたかったので、天皇は「水が清くつめたいので、わたしの心はすがすがしい」と言い、それで「宗我富」とよぶのだ、と書かれています

プレ男山のけんか、鹿、井戸の水…。土地の名前ひとつひとつに、物語がかくれているんだね。

『播磨国風土記』では、大和の三山の争いをとめに来た出雲の阿菩大神が、争いがやんだと聞いて、のってきた舟をふせてすわったので「神阜」とよぶ、と伝えています。
まとめ
- 出雲の阿菩大神は、大和の畝火・香山・耳梨の3つの山の争いをとめに出かけた
- 播磨まで来たところで争いがやんだと聞き、舟をふせてすわった。それが「神阜」の名のいわれ
- 伊和大神が国をしめたとき、鹿が山の峰に立ったので「鹿来墓」、のちに「香山」とよばれた
- 品太天皇がほらせた井戸の水が清くつめたかったので、「宗我富」とよばれた
- 同じ風土記のせのびした巨人と、さかずきの父さがし、十四の丘と火明命、播磨の国争いもどうぞ
参考文献
- 『播磨國風土記』(揖保郡 上岡里〈神阜〉・香山里・宗我富の条). ウィキソース(古風土記/播磨國風土記). https://zh.wikisource.org/wiki/古風土記/播磨國風土記 (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
