
プレ男9月9日に山へのぼって、菊のお酒を飲む!? そんな行事があったの?

メル美むかしの中国の年中行事の本に、その由来の言いつたえまで書いてあるんだって。秋と冬の行事を見てみよう!
こんにちは、Dr. Taro です。 神話の解説、今回は中国の『荊楚歳時記』の秋と冬です。梁の宗懍が書き、隋の杜公瞻が注をつけた『荊楚歳時記』の原文(ウィキソース)の、7月15日から歳末までの条を読みました。お正月の行事は『荊楚歳時記』のお正月、春と夏は『荊楚歳時記』の寒食と端午、7月7日は牽牛と織女(七夕)へ。
プロフィール
| 7月15日 | 僧も尼も、俗世の人も、盆をととのえて供える |
| 8月14日 | 子どものひたいに朱や墨で点をつける「天灸」。錦で「眼明嚢」をつくり、おくりあう |
| 9月9日 | 野に出て宴をする。茱萸の袋をさげ、菊の酒を飲む |
| 10月1日 | 家々で黍のあつものをつくる。「秦の年のはじめ」とよばれた |
| 冬至 | アズキのかゆをつくり、疫病をはらう。日かげの長さをはかる |
| 12月8日(臘日) | 村人が太鼓をさげ、面をかぶって、疫病をおいはらう |
1. 7月15日の盆
- 『荊楚歳時記』には「7月15日、僧も尼も、俗世の人も、みな盆をととのえて供える」とあります
- 杜公瞻の注は、仏典『盂蘭盆経』を引いています。それによると、目連は、なくなった母が餓鬼の世界に生まれているのを見て、はちにご飯をもって母にとどけましたが、ご飯は口に入る前に火の炭にかわってしまいました
- 仏は「7月15日に、さまざまな食べものや果物を盆に入れて、四方の僧たちに供えなさい」と教え、そのおかげで、目連の母は餓鬼のくるしみからのがれた、と注は書いています
- 注は、のちの人々がこれにならって、木や竹をきざみ、あめやろうで花や葉の形をつくり、盆を美しくかざるようになった、とつづけます
2. 8月の朝つゆと「目が明るくなる袋」
- 8月14日には、人々は子どものひたいに朱や墨で点をつけ、これを「天灸」とよんで、病をおさえようとしました。また錦で「眼明嚢(目が明るくなる袋)」をつくって、おくりあいました
- 杜公瞻の注には、こんな言いつたえがあります。弘農の鄧紹が、8月1日に華山へ薬草をとりに入ると、ひとりの子どもが五色の袋をもって、ヒノキの葉の上のつゆをうけていました。つゆは真珠のように袋にみちていました
- 鄧紹が「それを何につかうのか」とたずねると、子どもは「赤松先生が、目を明るくするのにつかうのです」と答え、言いおわると、すがたが見えなくなりました。いまの人々が8月1日に眼明袋をつくるのは、このなごりだ、と注は書いています

メル美仙人のつかいの子どもが、葉っぱのつゆをあつめていたんだ。ふしぎで、きれいなお話だね。
3. 9月9日、山へのぼるわけ
- 『荊楚歳時記』には「9月9日、人々はみな野に出て宴をする」とあります。杜公瞻は「9月9日の宴がいつからはじまったかはわからないが、漢から宋まで、かわらずつづいている」と書き、北の人々も茱萸をさげ、菊の酒を飲み、それで長生きすると言われている、とつづけています
- 注は、『続斉諧記』のこんな話を引いています。汝南の桓景は、費長房のもとで学んでいました。あるとき費長房は言いました。「9月9日、おまえの家に大きなわざわいがある。いそいで家の者に袋をぬわせ、茱萸を入れてうでにむすび、山にのぼって菊の酒を飲めば、わざわいはきえるだろう」
- 桓景が言われたとおり家じゅうで山へのぼり、夕方に帰ってみると、家のニワトリや犬、牛やヒツジが、みな死んでいました。費長房はそれを聞いて「あれが身がわりになったのだ」と言いました
- いまの人々が9日に高いところへのぼって酒を飲み、女性が茱萸の袋をさげるのは、ここからはじまった、と注は書いています
4. 10月の「小春」と冬至のアズキのかゆ
- 10月1日には、家々で黍のあつものをつくり、これを「秦の年のはじめ」とよびました。注は「この時期は、天気がおだやかで春のようなので、小春という」と書いています
- 冬至の日には、アズキのかゆをつくって疫病をはらいました。注によると、共工には、できのわるい子がいて、冬至の日に死んで疫病の鬼になりました。この鬼はアズキをおそれたので、冬至にアズキのかゆをつくってはらうのだ、と書かれています
- また、晋や魏のころ、宮中では赤い糸で日かげの長さをはかり、冬至のあとは、日かげが糸1本分ずつのびた、とも書かれています

プレ男アズキのかゆで鬼をはらう…。赤い色のものに、わるいものをはらう力があると考えられていたのかな。
5. 12月8日、太鼓で疫病をおいはらう
- 『荊楚歳時記』には「12月8日は臘日である」とあり、ことわざに「臘の太鼓が鳴れば、春の草が生える」と言いました
- 村人たちは、腰のくびれた小さな太鼓をさげ、胡公の頭の面をかぶったり、金剛力士の姿をつくったりして、疫病をおいはらい、水をあびて罪やけがれをのぞきました
- 杜公瞻の注は、『礼記』の「儺をする人は、わるい気をおいはらうのだ」ということばを引き、漢の時代には、たいまつをつぎつぎにわたして疫病を送りだし、洛水にすてた、と書いています

『荊楚歳時記』の注では、費長房が桓景に、9月9日は茱萸の袋をうでにむすび、山にのぼって菊の酒を飲めばわざわいがきえると教えた話が、9日に高いところへのぼる風習のはじまりとされています。これは、むかしの言いつたえです。
まとめ
- 7月15日の盆について、注は『盂蘭盆経』の目連と母の話を引いている
- 8月には「天灸」と「眼明嚢」。注は、仙人の赤松先生のために朝つゆをあつめる子どもの話を書いている
- 9月9日に山へのぼって菊の酒を飲むのは、費長房が桓景にわざわいのよけかたを教えた話から、と注は書いている
- 冬至のアズキのかゆは、アズキをおそれる共工の子の疫鬼をはらうため。12月8日の臘日には、太鼓と面で疫病をおいはらった
- お正月の『荊楚歳時記』のお正月、春と夏の『荊楚歳時記』の寒食と端午、7月7日の牽牛と織女(七夕)もどうぞ
参考文献
- 宗懍(撰)・杜公瞻(注)『荊楚歲時記』(七月十五日の条、八月十四日の条、九月九日の条、十月朔日の条、冬至の条、十二月八日臘日の条). ウィキソース. https://zh.wikisource.org/wiki/荊楚歲時記 (閲覧日:2026年10月12日)
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