
プレ男いちばん古い聖典に、ギャンブルでしくじった人の歌がのってるの!?

メル美そうなの。やめたくてもやめられない気持ちが、いまの人にもわかるように書かれているんだって。
こんにちは、Dr. Taro です。 神話の解説、今回はインドの『リグ・ヴェーダ』のさいころの歌です。インドの最古の聖典『リグ・ヴェーダ』第10巻34番の歌(ラルフ・T・H・グリフィス英訳、訳注を含む、インターネット・アーカイブ)を読みました。さいころの賭けで国をうしなった王の物語はナラ王とダマヤンティーへ。
プロフィール
| 歌の内容 | さいころの賭けにのめりこんだ男のなげき |
| さいころ | グリフィスの注によると、むかしはヴィビーダカの木の実がさいころにつかわれた |
| さいころの数 | 歌では「53」。グリフィスは、この数のよみかたには説がわかれる、と注している |
| 男がうしなったもの | やさしかった妻、家族や友の信用、財産 |
| 教えをさずけた神 | サヴィタル |
| 教え | 「さいころで遊ぶな。畑をたがやせ」 |
1. やめられない
- 歌は、さいころへのあこがれからはじまります。「風の吹く高いところの、大きな木から生まれた、ころがる者たちが、盤の上でころがると、わたしは夢中になる。ねむらないさいころは、ムージャヴァットの山のソーマの深い一杯より、わたしにはいとしい」
- 「妻は、わたしにいらだつことも、おこることもなく、わたしにも友にもやさしかった。それなのに、さいころの1つの目のために、わたしは、つくしてくれた妻をうしなった」
- 「妻はわたしを遠ざけ、その母はわたしをにくむ。みじめな男には、なぐさめてくれる者もいない」
2. 「もう遊ばない」と決めても
- 「もう遊ばないと決めると、友はわたしからはなれ、わたしはひとりになる。けれども、茶色のさいころが盤の上に投げられて鳴ると、わたしはまた、その場所へ出かけていく」
- 「賭けをする者は、賭場へ行き、からだじゅうを熱くして思う。『こんどは、勝てるだろうか』」
- 「さいころは、まことに、とげのついた棒とかぎ棒をもっている。人をあざむき、苦しめ、ひどい悲しみをもたらす」

メル美「もうやめる」って決めても、音を聞くとまた行っちゃう…。ほんとうにつらい気持ちが伝わってくるね。
3. 冷たいのに、心をやく
- 「さいころは、下にころがり、すぐにはねあがる。手がないのに、手のある人をしたがわせる」
- 「盤の上に投げられた、魔法の炭のかたまりのよう。自分は冷たいのに、心を灰になるまでやいてしまう」
- 「賭けをする者の妻は、ひとりのこされてなげく。家をもたずにさまよう息子を、母は悲しむ。いつもおそれ、借金をかかえ、富をもとめて……」
4. サヴィタルの教え
- 歌のおわりで、男はこう歌います。「さいころで遊ぶな。畑をたがやせ。手に入れたものをたのしみ、それでじゅうぶんと思え。そこに、おまえの牛がいる。そこに、おまえの妻がいる。賭けをする者よ。このよいサヴィタルが、そうわたしに告げた」
- そして、さいころに語りかけます。「わたしを友としてくれ。少しはあわれんでくれ。おそろしいはげしさで、わたしたちをおそわないでくれ。おまえたちのいかりがしずまるように。茶色のさいころは、だれか別の者をつかまえるがいい」

プレ男「手に入れたものをたのしみ、それでじゅうぶんと思え」…。むかしの人のことばなのに、すごく今っぽいね。

グリフィス訳の『リグ・ヴェーダ』では、男は「さいころで遊ぶな。畑をたがやせ。手に入れたものをたのしみ、それでじゅうぶんと思え」というサヴィタルの教えを歌っています。
まとめ
- 『リグ・ヴェーダ』第10巻34番は、さいころの賭けにのめりこんだ男のなげきの歌
- 男は、やさしかった妻をうしない、家族にも見はなされた
- 「もうやめる」と決めても、さいころの音を聞くとまた出かけてしまう。さいころは「冷たいのに心をやく炭」
- サヴィタル神の教えは「さいころで遊ぶな。畑をたがやせ。手に入れたもので満足せよ」
- さいころで国をうしなったナラ王とダマヤンティー、同じ『リグ・ヴェーダ』のサラマーとパニたちとウシャスもどうぞ
参考文献
- Griffith, Ralph T.H.(英訳). The Hymns of the Rigveda, Vol. II. Book X, Hymn XXXIV(訳注を含む). Internet Archive. https://archive.org/details/in.gov.ignca.16312 (閲覧日:2026年10月12日)
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