
プレ男神さまの歌だけじゃなくて、「人にやさしくしよう」っていう歌もあるの?

メル美『リグ・ヴェーダ』には、「ほどこし」をたたえる歌があるんだって。お金は車の輪のようにめぐる、なんて今でもひびくことばなの。
こんにちは、Dr. Taro です。 神話の解説、今回はインドの『リグ・ヴェーダ』のほどこしの歌です。インドの最古の聖典『リグ・ヴェーダ』第10巻117番の歌(ラルフ・T・H・グリフィス英訳、訳注を含む、インターネット・アーカイブ)を読みました。グリフィスの英訳では、歌の題は「Liberality(気前のよさ、ほどこし)」です。同じ第10巻の歌はさいころの歌とサラマーとパニたちへ。
プロフィール
| 歌の題 | Liberality(気前のよさ、ほどこし) |
| グリフィスの説明 | 富や食べものをあたえることをたたえる歌 |
| こばむ者 | 食べものをもとめる人をこばむ者には、なぐさめてくれる者がいない |
| 富のたとえ | 車の輪のように、いつもめぐっている |
| ひとりで食べる者 | 「罪だけを食べる」 |
1. うえは、罰ではない
- 歌は、こうはじまります。「神々は、うえを、わたしたちの死とさだめたのではない。よく食べている人にも、死はさまざまな形でやってくる」
- グリフィスは注で、この行は、「うえは罪の罰として神々がおくるものだ」と言って、うえた人に食べものをあたえないことを正しいとしてはいけない、という意味だと説明しています
- 「気前のよい人の富は、けっしてなくならない。あたえようとしない人には、なぐさめてくれる者がいない」
2. こばむ者、あたえる者
- 「食べものをたくわえているのに、みじめなようすで食べものをもとめて来た人に、心をかたくする者は——むかし、その人に助けてもらったことがあっても——なぐさめてくれる者をひとりも見つけられない」
- 「食べものがなくて弱りはて、たずねてきた人にあたえる者こそ、気前がよい。その人は、のちの苦しみのときに、友をえる」
- 「食べものをもとめて来た友に、何もあたえない者は、友ではない」

メル美こまっている人を助けると、自分がこまったときに友だちになってくれる…。やさしさは、めぐってくるんだね。
3. 富は車の輪
- 「ゆたかな者は、まずしい人の願いをみたしてやり、もっと長い道に目をむけよ」
- グリフィスは注で、「今だけでなく、先のことをよく考えよ。いつか自分も、同じ助けがいるかもしれない」という意味だと説明しています
- 「富は、今日はこの人に、明日はあの人にやってくる。車の輪のように、いつもころがっている」
4. ひとりで食べる者
- 「おろかな者は、むだなはたらきで食べものをえる。わたしは本当のことを言う、その食べものは、その人のほろびとなる」
- 「その人は、信じられる友も、愛してくれる人も養わない。ひとりで食べる者は、罪だけを食べる」
- 「両手は同じでも、はたらきはちがう。……ふたごでさえ、力や元気がちがう。親類どうしでも、気前のよさはちがう」

プレ男「ひとりで食べる者は、罪だけを食べる」かあ。ごはんは、だれかといっしょに食べたほうがおいしいもんね。

グリフィス訳の『リグ・ヴェーダ』では、「富は、今日はこの人に、明日はあの人にやってくる。車の輪のように、いつもころがっている」と歌われています。
まとめ
- 『リグ・ヴェーダ』第10巻117番は、ほどこし(気前のよさ)をたたえる歌
- 「神々は、うえを死とさだめたのではない」。うえた人をこばむいいわけにしてはいけない
- 食べものをもとめる人をこばむ者には、なぐさめてくれる者がいない。あたえる者は、のちに友をえる
- 「富は車の輪のようにめぐる」「ひとりで食べる者は、罪だけを食べる」
- 同じ第10巻のさいころの歌とサラマーとパニたち、暁の女神ウシャスもどうぞ
参考文献
- Griffith, Ralph T.H.(英訳). The Hymns of the Rigveda, Vol. II. Book X, Hymn CXVII(訳注を含む). Internet Archive. https://archive.org/details/in.gov.ignca.16312 (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
