
プレ男ヤマトタケルって、日本神話でいちばん有名な英雄だよね?

メル美強いだけじゃなくて、すごく悲しい英雄なんだって。『古事記』で読んでみよう。
こんにちは、Dr. Taro です。 今回は、日本神話の英雄ヤマトタケルです。『古事記』の武田祐吉による現代語訳(青空文庫、底本:角川文庫『古事記』1956年)で読みました。

葛飾北斎「日本武尊」18〜19世紀。紙本墨画。メトロポリタン美術館所蔵(パブリックドメイン)
プロフィール
| 名前 | ヲウスの命、またの名をヤマトヲグナの命。のちにヤマトタケルの命 |
| 父 | オホタラシ彦オシロワケの天皇(景行天皇) |
| 叔母 | 伊勢の神宮に仕えるヤマト姫の命 |
| 妻 | オトタチバナ姫の命、ミヤズ姫など |
| 剣 | 叔母からさずかった草薙の剣 |
| 出典 | 『古事記』中巻「ヤマトタケルの命の西征」「東征」「望郷の歌」「白鳥の陵」 |
- ヤマタノオロチと剣の話は、スサノオの記事で
父に恐れられた皇子
- 『古事記』によると、ヲウスの命は、兄が食事に出てこないので「教えておけ」と父に言われ、その兄をあまりに乱暴なやり方で手にかけてしまいます
- 父の天皇は、その荒々しい心を恐れ、「西のクマソタケル兄弟は従わない。殺してこい」と命じました
娘の姿で、熊襲の宴へ
- ヲウスの命は、叔母ヤマト姫の衣装をもらい、剣をふところに入れて出かけます。クマソタケルの家は、軍勢が三重にかこんで守っていました
- 新しい家の祝いの宴の日、ヲウスの命は、結っていた髪を娘のようにくしけずってたらし、叔母の衣装を着て、女たちにまじって中に入ります
- クマソタケル兄弟は、その「娘」を気に入って、自分たちのあいだにすわらせました。宴がもりあがったところで、ヲウスの命はふところから剣を出し、兄弟を討ちます
- 弟のクマソタケルは、最期に言いました。「西の方には、われら2人よりも強い者はいない。けれども大和には、われらにまさる強い方がおられた。名前をさしあげましょう。これからは、ヤマトタケルの御子と申されるがよい」
- それからヲウスの命は、ヤマトタケルの命とよばれるようになりました

プレ男「ヤマトタケル」って名前は、たおした相手からもらったものだったんだ!
「父は、わたしに死ねと思っているのか」
- 都に帰ってまもなく、天皇はまた「東の国々の悪い神や従わない人たちを平らげよ」と命じます。兵士はつけてくれませんでした
- ヤマトタケルは伊勢で叔母ヤマト姫に泣いて言います。「父上は、わたくしを早く死ねと思っておいでになるのです」
- ヤマト姫は、草薙の剣と、1つの袋をさずけて言いました。「もし急なことがあったら、この袋の口をおあけなさい」
野火と、草薙の剣と火打ち
- 相模の国で、国造が「この野の沼に、乱暴な神がいます」とうそをつき、ヤマトタケルが野に入ると、野に火をつけました
- だまされたと知ったヤマトタケルが袋をあけると、中には火打ちが入っていました。まず剣で草を刈りはらい、火打ちで火をおこして、こちらからも火をつけて、火をおしもどしたのです
海に入ったオトタチバナ姫
- 走水の海をわたるとき、海の神が波を立て、船は進めなくなります
- 妻のオトタチバナ姫は言いました。「わたくしが御子にかわって海に入りましょう。御子は、命じられたつとめをはたして、ご報告なさいませ」
- 波の上にすげ・皮・絹の畳を8枚ずつしいて、姫がその上におりると、荒い波はしずまり、船は進むことができました
- 姫は歌をのこしました。「高い山の立つ相模の国の野原で、燃え立つ火の中に立って、わたくしをたずねてくださったわが君」
- 7日のち、姫の櫛が浜にうちよせられ、ヤマトタケルはそれをおさめて墓をつくりました

メル美野火の中で、自分をさがしてくれた夫を思い出しながら…。
伊吹山と、望郷の歌
- 帰り道、尾張でミヤズ姫と結婚したヤマトタケルは、草薙の剣をミヤズ姫のもとにおいたまま、伊吹山の神を討ちに行きます
- 「この山の神は、素手でとってみせる」と言って山にのぼると、牛ほどもある白い猪があらわれます。ヤマトタケルは「神の使いだろう、帰りに殺そう」と大きなことを言いますが、白い猪こそ山の神の正体でした。山の神は大ひょうをふらせ、ヤマトタケルをまどわせました
- 弱った体で旅を続け、「足が三重に曲がった餅のようだ」と言ったので、その地を三重というのだ、と『古事記』は書いています
- 能煩野で、ふるさとを思って歌います。「大和は国の中の国だ。重なりあっている青い垣、山にかこまれている大和は美しいなあ」(武田祐吉訳。この歌は「思国歌」という名の歌、と書かれています)
- そして「乙女の床のほとりに、わたしの置いてきたよく切れる大刀、あの大刀はなあ」と歌いおえて、亡くなりました
白鳥になって
- 大和から妃や御子たちがかけつけ、墓をつくって泣いていると、ヤマトタケルは大きな白鳥になって天にとび、浜の方へ飛んでいきます
- 妃たちは、篠竹の切り株で足が切れても、痛さもわすれて、泣きながら追いかけました
- 白鳥は河内の志幾にとどまり、そこに墓がつくられましたが、そこからまた空を飛んでいったと書かれています

『古事記』によると、ヤマトタケルは能煩野でふるさとを思って歌い、亡くなったあと、大きな白鳥になって天に飛んでいきました。
まとめ
- ヤマトタケルは、景行天皇の子ヲウスの命。荒々しさを父に恐れられ、西のクマソタケル討伐へ
- 娘の姿で宴にまぎれこみ、たおした相手から「ヤマトタケル」の名をおくられた
- 東の旅では、叔母の袋の火打ちと草薙の剣で野火をのりこえ、妻オトタチバナ姫は海に身を投じて波をしずめた
- 伊吹山の神に負け、「大和は国の中の国」と歌って亡くなり、白鳥になって飛んでいった
- ヤマタノオロチ退治はスサノオ、日本神話はアマテラス、大国主もどうぞ
参考文献
- 稗田阿礼・太安万侶(武田祐吉訳). 古事記(現代語訳)(底本:古事記、角川文庫、1956年). 中巻「ヤマトタケルの命の西征」「東征」「望郷の歌」「白鳥の陵」. 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html (閲覧日:2026年10月5日)
- メトロポリタン美術館. Katsushika Hokusai, Yamato Takeru no Mikoto, 18th–19th century(56.121.21、パブリックドメイン). https://www.metmuseum.org/art/collection/search/57271 (閲覧日:2026年10月9日)
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