
プレ男アメリカの東から西まで、鉄道がつながったのはいつなんだろう?

メル美1869年なんだって。そのもとになった1862年の法律が、米国立公文書館にあるよ。
この記事は、米国立公文書館(National Archives)の解説ページ「Pacific Railway Act (1862)」で確かめた内容です。英文の訳は、この記事で訳したものです。
1862年7月1日
- 米国立公文書館によれば、1862年7月1日に可決された太平洋鉄道法は、アメリカを横断する大陸横断鉄道の建設のために、連邦政府が土地と融資で助成するものでした
- 19世紀の議会では、「国内の改良」——国の交通網をよくするために議会が手を貸すべきか——という問題がたびたび取りあげられていました。国じゅうを横断する鉄道は、その夢のひとつでした
民間だけでは進まなかった
- 1850年代、議会は、鉄道のいちばんよいルートを決めるために、西部の地形の調査を何度も命じました。けれど、民間の会社は、連邦の助けなしにこの仕事を引きうけることをしぶりました
- そこで1862年、議会は太平洋鉄道法を可決し、政府の債券で事業の資金をまかない、線路の用地のために広大な土地を与えることにしました
- この法律によって、ミズーリ川から太平洋までの鉄道と電信線の建設が進められ、政府がその線路を使えることも確保されました
東から、西から
- 法律は、ユニオン・パシフィック鉄道とセントラル・パシフィック鉄道の2社に、線路の建設を認めました
- 1863年から、ユニオン・パシフィックは、アイルランド、ドイツ、イタリアからの移民8,000人あまりを雇って、ネブラスカ州オマハから西へ
- セントラル・パシフィックは、1万人をこえる中国人労働者をふくむ人々で、カリフォルニア州サクラメントから東へ
- どちらの会社も、前例のない工事の難しさ、きびしい天候、そして、祖先からの土地を鉄道に分断されたアメリカ先住民との衝突に直面した、と解説は書いています

プレ男西側は1万人をこえる中国人労働者がつくったんだ。でも、そのあと中国人排斥法ができるんだよね…。
1869年5月10日、プロモントリー
- 1869年5月10日、ユタ州プロモントリーでの式典で、最後のレールがしかれ、最後の犬くぎが打ちこまれました
- 大陸横断鉄道の完成で、何か月もかかった旅が、およそ1週間に縮まりました
- 議会は最終的に、4本の大陸横断鉄道を認め、線路の用地として1億7,400万エーカーの公有地を与えた、と解説は結んでいます

メル美旅が何か月から1週間に。その一方で、土地を分断された人たちもいた。鉄道の歴史にも、いろんな面があるんだね。

米国立公文書館によれば、1862年の太平洋鉄道法は、大陸横断鉄道の建設を土地と融資で助成しました。1869年5月10日にユタ州プロモントリーで完成し、何か月もかかった旅はおよそ1週間になりました。
まとめ
- 太平洋鉄道法は、1862年7月1日に可決。大陸横断鉄道を土地と融資で助成
- ミズーリ川から太平洋までの鉄道と電信線
- ユニオン・パシフィックはオマハから西へ(アイルランド・ドイツ・イタリアの移民8,000人あまり)、セントラル・パシフィックはサクラメントから東へ(1万人をこえる中国人労働者)
- 先住民の土地の分断、きびしい天候、前例のない工事
- 1869年5月10日、ユタ州プロモントリーで完成。旅はおよそ1週間に
- 同じ1862年のホームステッド法、中国人排斥法、ルイジアナ買収もどうぞ
参考文献
- U.S. National Archives. Pacific Railway Act (1862). https://www.archives.gov/milestone-documents/pacific-railway-act (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。