
プレ男森鴎外にも『心中』っていう題の小説があるんだ。

メル美うん。料理屋の女中さんが客に語る、雪の夜の話なんだって。こわい話みたいに進むの。
今回は、森鴎外の短編『心中』です。青空文庫の本文(底本:『森鴎外集 新潮日本文学1』新潮社)で読みました。初出は『中央公論』1911年(明治44年)8月です。本文中の「」の言葉は、青空文庫の本文からの引用です。
※この作品には、若い二人の死(題のとおりの心中)がえがかれています。この記事では、その場面をくわしくは書きません。
二度聞かせてもらった話
- 語り手の「僕」が書きとめたのは、料理店の古株の女中お金が、どの客にも一度はかならずする話です
- お金は、一度来た客は忘れないのが自慢。二度話しかけてしまって「ひゅうひゅうと云うのだろう」と先に言われると、ひどくくやしがります。それを自分からたのんで二度話してもらったのは「恐らくは僕一人であろう」。いつか書こうと思ったからでした
- 「僕」は、お金の話をそのまま書くと言います。舞台の料理店「川桝」の名は、遠慮して「わざと嘘の名を書いた」とことわっています
雪の夜の女中部屋
- 川桝には、そのころ女中が十四、五人いて、二十畳敷きの二階に「目刺を並べたように」寝ていました
- 暮れもおしつまり、毎晩のように忘年会がある忙しいころ。大きな雪がさかんに降った夜のことです
- 夜中にふと目をさましたお金のとなりで、女中のお松が起きあがり、便所に行くと言います。お金がことわると、新入りのお花が「一しょに行くから」と起きだし、二人は梯子をおりていきました
- 便所は、二階からおりて、長くせまい廊下を通った行きどまりにあります。廊下の横には四畳半の茶室のような部屋があり、女中たちは夜中の便所を、竹のすれる音や石灯籠のかげがこわいと言っていました。四畳半で女の泣き声がした、という作り話まであったのです
空いている寝床
- 二人が出ていったあと、お金は、お花の寝床のとなりも空いていることに気づきます。お蝶の寝床でした
- お蝶は、その夏、田舎から初めて奉公に出てきた17歳の娘。下野(しもつけ)の結城で機屋(はたや)をいとなむ家の一人娘で、婿をきらって逃げだしてきたのでした。連れもどしにきた親類にも、強情をはって帰りません
- やがて、親類だと言ってお蝶をたずねてくる書生風の青年があらわれます。名は佐野。親に坊さんにされるはずで寺にあずけられていたところを、お蝶が見そめて近づき、その仲を知った住職に「君は僧侶になる柄の人ではない」と寺を出されて、東京の私立学校に入っていました。お蝶は、佐野のあとを追って東京に出てきたのです
- お蝶は、気がきいてよく働き、客にもほめられ、お上さんに気に入られていました。しかられても、意地悪をされても、すぐきげんを直して働く。その口もとには、「怜悧で何もかも分かって、それで堪忍して」いるような微笑がうかんでいました。「僕」は、それを聞いて、レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」を思いだします
- お蝶は外泊も休みもせず、佐野が来ても話をして帰るだけ。けれど、親元からの婿とりの話はつづいていて、その婿をことわれば機屋が困るような事情もあるらしい。佐野も、しだいにお蝶といっしょに、どうしようかと相談する立場になっていったようでした
- その夜も、宵おそく佐野が来ていたことを、お金は知っていました。いつもなら、お蝶はちゃんともどって寝ている。二時をすぎてもいないことが、なぜかお金には、ただ二人が話しこんでいるのではない、何か変わったことでもあるのではないか、と思えたのです

メル美いつも笑顔で、何もかもわかったうえでがまんしている子だったんだね…。
「ひゅうひゅう」という音
- 暗い廊下を歩くお松とお花の耳に、風の音や戸のきしむ音にまじって、「ひゅうひゅうと、微かに長く引くような音」が聞こえてきます。とぎれてはつづくその音は、「譬えば人がゆっくり息をするよう」でした
- 障子の破れ目から風が吹きこむ音だろう、と二人は思いますが、一歩進むごとに、音は近くなってくるようです
- 用をすませて出てきても、音はやみません。便所の中よりも、四畳半のほうが近く聞こえる。こわがるお花の手をふりはらって、お松は「わたし開けてよ」と障子をあけました
- 二人はいっしょに声をあげ、お花は気をうしない、お松は母屋へかけだしていきました
四畳半の中
- 店じゅうの者が起きだし、医師や巡査、警察署長までがかけつけます
- 四畳半には、深い傷を負ったお蝶が、まだ息がたえずにたおれていました。あの「ひゅうひゅう」は、お蝶の、傷を通る呼吸の音だったのです。そばでは、佐野が短刀をにぎったまま、自ら命を絶っていました
- 床の間には、佐野が書き、二人が名をつらねた遺書が、佐野の銀時計を文鎮にして置いてありました。お蝶の名だけは、お蝶が自分で書いていました
- 遺書には、おおよそ、こう書いてあったそうです。今年の暮れに機屋は破産しそうで、それはお蝶が親の言葉にそむいたためである。お蝶が死ねば、債権者もひどい手段はとるまい。佐野は東京に出たが、神経衰弱で学業はふるわず、学費の見こみもない。お蝶が切に願うので、自分は「甘んじて犠牲になる」
結び
- 川桝に行く客には、お金が一人ものこさず話すのだから、この話を知っている人は世間にたくさんいるだろう。「事によると、もう何かに書いて出した人があるかも知れない」——小説は、そう結ばれています

『心中』では、二人の死の理由は、最後に置かれた遺書の「おおよその筋」として語られるだけです。それまでの話は、古株の女中お金が、雪の夜の廊下の音から、客に語りきかせる形で進んでいきます。
まとめ
- 『心中』は、森鴎外の短編(1911年8月『中央公論』初出)
- 語り手の「僕」が、料理屋「川桝」の古株の女中お金から聞いた話を書きとめた、という形
- 雪の夜、便所へ向かったお松とお花が、暗い廊下で「ひゅうひゅう」という音を聞き、四畳半の障子をあける
- 婿をきらって書生佐野を追ってきた17歳のお蝶と、佐野の、二人の死がそこにあった
- 遺書には、実家の機屋の破産と、佐野の行きづまりが書かれていた
- 心中の実話は『曽根崎心中』は実話だった、明治の吉原の心中物語は広津柳浪『今戸心中』、鴎外の恋の物語は『雁』もどうぞ
つらい気持ちのときは
- 作品には、自ら命を絶つ場面が出てきます。もし今、死にたい気持ちや、ひとりで抱えきれない悩みがあるときは、厚生労働省の「まもろうよ こころ」で、電話やSNSの相談窓口を探せます(つらいときの相談先)
参考文献
- 森鴎外. 心中(底本:『森鴎外集 新潮日本文学1』新潮社、1971年。初出:『中央公論』1911年8月). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card690.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 厚生労働省. まもろうよ こころ. https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/ (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。