
メル美谷崎潤一郎の『春琴抄』って、究極の愛の物語って言われるけど、どんな話なの?

プレ男師匠と弟子の話らしいよ。ちょっとこわい場面もあるみたい。
今回は、谷崎潤一郎の『春琴抄(しゅんきんしょう)』です。青空文庫の原文(底本:ちくま日本文学014『谷崎潤一郎』筑摩書房。初出は『中央公論』昭和8年(1933年)6月)で読みました。
※この話には、暴力や大けが、自分の体を傷つける場面がえがかれています。
墓から始まる物語
- 物語は、語り手の「私」が、大阪・下寺町の寺に春琴の墓をたずねるところから始まります
- 春琴の墓石には「明治十九年十月十四日歿、行年五拾八歳」、側面に「門人温井佐助建之」。そのそばに、半分ほどの大きさの佐助の墓があり、「鵙屋春琴門人」と刻まれていました。佐助は、死んだあとも師弟の礼を守っていたのです
- 「私」は、佐助が師の三回忌に編ませたらしい小冊子『鵙屋春琴伝』や、晩年の二人に仕えた鴫沢てるの話をもとに、二人の生涯をたどっていきます
盲目の少女と、手を曳く丁稚
- 春琴、本名は鵙屋琴。大阪・道修町の薬種商の娘で、美しく、才能にめぐまれた少女でした
- 9歳で目の病気になり、両目の視力を失います。それからは、琴と三味線の道に打ちこみました
- 毎日、師匠・春松検校の家まで手を曳いて送り迎えしたのが、4歳年上の丁稚、佐助です。春琴が「佐助どんにしてほしい」と言ったので、その役は佐助に決まりました。理由をきかれた春琴は、「誰よりもおとなしゅうていらんこと云えへんよって」と答えています
- 佐助は、春琴の瞳の光を一度も見なかったことを、のちまで悔いていない、かえって幸福だと考えていました
押入れの中の三味線
- 佐助は、春琴の稽古を待つあいだに聞きおぼえた曲を、こっそり買った三味線で、夜中に押入れの中で練習しました。真っ暗な中で弾くことを、「こいさんもこの闇の中で三味線を弾きなさるのだ」と思って、楽しんでいたといいます
- それが見つかったとき、「どのくらい弾けるか聴いてみたい」と言い出したのは、春琴でした。こうして、11歳の少女が師匠、15歳の少年が弟子になります
- 幼い師匠の稽古はきびしく、「阿呆、何で覚えられへんねん」とばちで打つこともありました。佐助は泣きながらも、決して逃げませんでした

プレ男11歳の師匠に、ばちで打たれる弟子…。今なら大問題だよ。

メル美作品の中でも、両親が「弟子を罵ったり打ったりするのは慎んで」と注意しているね。
夫婦ではない、二人
- 両親は佐助を婿にと考えましたが、春琴は「自分は一生夫を持つ気はない、殊に佐助などとは思いも寄らぬ」と断ります
- ところがその翌年、春琴は身ごもります。相手を明かさず、生まれた子は佐助にそっくりでしたが、春琴は最後まで認めず、子はよそへもらわれていきました
- 20歳で独立して師匠の看板をかかげた春琴と、佐助はいっしょに暮らします。それでも春琴は、夫婦らしく見られることをひどくいやがり、主従・師弟のちがいをきびしく守らせました
- 春琴は、身のまわりのことをすべて佐助にまかせ、わがままで、ぜいたくで、弟子にもきびしい人でした。そのいっぽうで、三味線は大阪で第一流の名手だったと書かれています
熱湯と、「わての顔を見んといて」
- 春琴が37歳のとき、何者かが夜中に忍びこみ、眠っている春琴に熱湯をあびせました。犯人ははっきりしません。作品は、春琴に恨みをもつ弟子や、商売がたきなど、いくつもの説をあげています
- かけつけた佐助に、春琴は「佐助々々わては浅ましい姿にされたぞわての顔を見んとおいて」と言いました
- 傷が治って包帯をはずす日が近づいたある日、春琴は「お前にだけはこの顔を見られねばならぬ」と、めずらしく涙を流します。佐助は「必ずお顔を見ぬように致します」と答えました
「佐助、それはほんとうか」
- それから数日後、佐助は自分の目を傷つけ、盲目になりました
- 「お師匠様私はめしいになりました。もう一生涯お顔を見ることはござりませぬ」——春琴はひとこと「佐助、それはほんとうか」と言い、長いあいだ黙っていました
- 佐助は、この沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった、と書かれています。そして、師弟の差別にへだてられていた二人の心が、「始めてひしと抱き合い一つに流れて行くのを感じた」のでした
- 佐助の目に浮かんでいたのは、二か月前までの春琴の、美しい顔だけでした

メル美相手の顔を見ないために、自分も見えなくなる…。愛なのか、なんなのか、言葉にできないね。
その後の二人
- 佐助は「琴台」の号をもらい、春琴にかわって弟子に教え、一家の暮らしを支えました。それでも正式に結婚はせず、主従の礼を守りつづけます
- 作品は、結婚しなかった理由は、春琴よりも佐助のほうにあったのではないか、と書いています。佐助は、こわれる前の、気位の高い美しい春琴を思いつづけたかったのです
- 佐助は、目が見えなくなってから「この世が極楽浄土にでもなったように思われ」、春琴の三味線のほんとうのすばらしさがわかった、と語っています
- 春琴は明治19年10月14日に亡くなりました。佐助は検校となり、明治40年10月14日、春琴の祥月命日に83歳で亡くなります

『春琴抄』で、佐助は大やけどを負った春琴の顔を見ないために、自らも盲目になります。作品は、二人の墓と『鵙屋春琴伝』という小冊子をたどる形で語られています。
まとめ
- 『春琴抄』は、谷崎潤一郎の小説(昭和8年、『中央公論』)
- 9歳で盲目になった三味線の名手・春琴と、その手を曳き、弟子として仕えた佐助の物語
- 二人は事実上の夫婦でも、春琴は主従・師弟の礼をくずさなかった
- 熱湯で顔に大やけどを負った春琴の「わての顔を見んといて」に、佐助は自らも盲目になってこたえる
- 語り手の「私」が、墓と『鵙屋春琴伝』、弟子・鴫沢てるの話をたどる形で語られる
- 文学の愛と献身は夏目漱石『夢十夜』、森鴎外『雁』、樋口一葉『十三夜』もどうぞ
参考文献
- 谷崎潤一郎. 春琴抄(底本:ちくま日本文学014『谷崎潤一郎』筑摩書房). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/card56866.html (閲覧日:2026年10月12日)
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