
メル美岡本かの子の『鮨』は、鮨屋の娘と、常連のおじさまのお話なんだって。

プレ男恋の話なのかな?それとも、お鮨の話?
今回は、岡本かの子の短編『鮨』です。青空文庫の原文(底本:『岡本かの子全集5』ちくま文庫、筑摩書房。初出は『文芸』昭和14年(1939年)1月号)で読みました。
坂の下の鮨屋「福ずし」
- 舞台は、東京の下町と山の手の境い目のような、坂や崖の多い街。いちばん低いところに鮨屋「福ずし」があります
- 客たちは、生活の現実に追われるなかで、ここへ来るとちょっとしたぜいたくができて、「くだらなくばかになれる」。お互いに現実から隠れんぼうをしている者どうしの、ひそかな親しさがありました
- 主人は、ときどき常連にだけ、塩さんまの押鮨のような寝酒の肴を出します。「これを出した日にゃ、他の鮨が蹴押されて売れなくなっちまわ」
- 主人の娘・ともよは、店の看板娘。客が冷やかしても「困るわそんなこと、何とも返事できないわ」とかわします
謎めいた常連「先生」
- 常連の湊(みなと)は、50すぎの独身の紳士。職業はだれも知らず、店では「先生」とよばれていました
- 湊の食べ方には決まった順番があります。鮪の中とろから始まり、つめのつく煮もの、あっさりした青い魚へと進み、玉子と海苔巻で終わるのです
- 湊はいつも、裏の谷あいの景色や表通りの椎の葉ばかり眺めていて、ともよのほうを見ません。ともよは、それが物足りなくなり、わざとせきばらいをして、湊をふりむかせるのでした
- 湊が客にすすめられて盃を重ねると、ともよは「お酒、あんまり呑んじゃ体にいけないって云ってるくせに、もう、よしなさい」と盃をとりあげます。それは、「妙な嫉妬」がさせることでした

プレ男こっちを見てくれないと物足りない、他の人と仲よくしていると嫉妬…。これは恋だね。
「あなた、お鮨、本当にお好きなの」
- ある初夏の日、ともよは表通りで湊と出会います。湊は、骨がすきとおって見える西洋の観賞魚「髑髏魚」を買っていました
- 二人は、病院の焼け跡の空き地で草の上に腰をおろします。ともよは、思いきってたずねました。「あなた、お鮨、本当にお好きなの」
- 湊は答えます。「さほど喰べたくない時でも、鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」。そして、ある子供の話を始めました
何も食べられなかった少年
- その子は、食事が苦痛でした。色や香りや味のあるかたまりを体に入れると、身が穢れるような気がしたのです。食べられるのは、炒り玉子と浅草海苔ぐらいでした
- 家はだんだん傾き、父は、やせた子のことで母に意地悪くあたります。母は、子の前で畳に手をついて「どうか頼むから、もっと、喰べるものを喰べて、肥ってお呉れ」と頭を下げました
- 子は、家族と同じ食事を食べようとして、吐いてしまいます
縁側の鮨
- その翌日、母は縁側に新しい茣蓙をしき、買いたての新しい俎板や庖丁をならべました
- そして、手のひらの裏と表を手品師のように返して見せ、「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから拵える人は、おまえさんの母さんだよ」
- 母が最初に握ったのは、玉子焼の鮨。それを食べると、「おいしさと、親しさ」が体じゅうにわいてきました
- つぎは烏賊。「白い玉子焼だと思って喰べればいいんです」。そして白身の魚。「自分は、魚が喰べられたのだ」と気づいた子は、思わず笑いだし、「すし!すし」とさけびます
- 母は、うれしいのをこらえて「では、お客さまのお好みによりまして、次を差上げまあす」。素人の母の鮨は、大きさもばらばらで、ころりと倒れるものもありましたが、子はかえってそれに愛しさを覚えました

メル美「お客さまのお好みによりまして」…。この場面、お母さんのやさしさがあふれていて泣ける。
「それで先生は鮨がお好きなのね」
- その子は、魚が食べられるようになり、たくましい少年になりました。けれど家はつぶれ、父母も亡くなり、彼はひとり、アパートや貸家を転々とする暮らしになります
- 「今のはなしのうちの子供……は私のことだ」と湊は言いました
- 「ああ判った。それで先生は鮨がお好きなのね」。湊は、年をとったせいか、しきりに母のことを思い出すので、鮨までなつかしくなるのだと答えます
- ともよの買った河鹿が、籠の中で鳴きはじめ、二人は笑みをふくんだ顔を見あわせました
先生は、どこかの鮨屋へ
- それきり湊は、福ずしに姿を見せなくなりました。ともよは、湊がどこのアパートにいるのか聞きもらしたのを残念に思い、焼け跡にたたずんで、涙ぐむこともありました
- けれど、いまでは、こう考えるだけになっています。「先生は、何処かへ越して、また何処かの鮨屋へ行ってらっしゃるのだろう——鮨屋は何処にでもあるんだもの——」

『鮨』の湊は、食べることが苦痛だった幼いころ、母が縁側で握ってくれた鮨の思い出を語ります。そして、年をとって母を思い出すので、鮨までなつかしくなる、と言っています。
まとめ
- 『鮨』は、岡本かの子の短編(初出は『文芸』昭和14年1月号)
- 坂の下の鮨屋「福ずし」の看板娘・ともよと、謎めいた常連「先生」こと湊
- 「あなた、お鮨、本当にお好きなの」——湊が語ったのは、何も食べられなかった少年に、母が縁側で握ってくれた鮨の話
- 「では、お客さまのお好みによりまして、次を差上げまあす」
- 湊は姿を消し、ともよは「鮨屋は何処にでもあるんだもの」と思うようになる
- 食べものと男女の物語は織田作之助『夫婦善哉』、淡い思いは樋口一葉『たけくらべ』、太宰治『葉桜と魔笛』もどうぞ
参考文献
- 岡本かの子. 鮨(底本:『岡本かの子全集5』ちくま文庫、筑摩書房). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card1016.html (閲覧日:2026年10月12日)
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