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プレ男ツタンカーメンの墓をあけた人たちが、次々に亡くなったんでしょ?「ファラオの呪い」ってこわすぎる…。

メル美でも「次々に」って、本当にふつうより早く亡くなってたのかな?比べてみないとわからないよね。
こんにちは、Dr. Taro です。 「都市伝説にマジレス」、今回はツタンカーメンの「ファラオ(ミイラ)の呪い」です。医学雑誌『BMJ』(英国医師会雑誌)に2002年に載った、オーストラリア・モナシュ大学の研究者による論文をもとにまとめました。
呪いのうわさは、こうして生まれた
論文によると、
- ツタンカーメンの墓は、1922年11月、イギリスの考古学者ハワード・カーターが、エジプト・ルクソールの「王家の谷」で見つけました。発掘の出資者はカーナヴォン卿です
- エジプトの墓の多くは古代にあらされていて、近代になってほぼ手つかずで見つかったファラオの墓は、ツタンカーメンのものだけでした
- 1923年、カーナヴォン卿が亡くなりました。蚊にさされた所から丹毒(皮膚の細菌感染)になり、敗血症と肺炎を起こしたのです
- 新聞は「ミイラの呪い」と書き立て、少しでも関係のある人や、犬が死んだことまで呪いと結びつけました。カーナヴォン卿の犬が、主人が亡くなったのと同じ時刻に遠ぼえして死んだ、という話まで出たそうです

メル美犬まで…。新聞がどんどん話を大きくしていったんだね。
当時から「呪いはない」と言う人もいた
- 1934年、ニューヨークのメトロポリタン美術館のエジプト部門の責任者は、「墓が開かれたときにいた24人のうち、亡くなったのはまだ6人だけ」と指摘しました
- カーター本人も、「正気の人なら、こんな作り話は軽蔑して退けるべきだ」と述べています
研究の方法:「呪いにさらされた人」と「さらされなかった人」を比べる
論文の著者は、呪いを「その場にいた人の体に影響するもの」と仮定して、疫学の方法(コホート研究)で確かめました。
- カーターの記録から、次の4つの場にいた西洋人を「呪いにさらされた人」としました
- 1923年2月17日:封印を破り、3つ目の扉を開けた日
- 1926年2月3日:石棺を開けた日
- 1926年10月10日:棺を開けた日
- 1926年11月11日:ミイラを調べた日
- 同じ時期にエジプトにいたのに、その場にいなかった西洋人を「さらされなかった人」としました
- 全部で44人、そのうち25人が「さらされた人」です。生まれた日と亡くなった日を、伝記や新聞の死亡記事などで調べました
結果:差はなかった
| さらされた人(25人) | さらされなかった人(11人) | |
|---|---|---|
| 亡くなった年齢(平均) | 70.0歳 | 75.0歳 |
| その後に生きた年数(平均) | 20.8年 | 28.9年 |
| 差の検定 | 年齢 P=0.87、年数 P=0.95(どちらも差なし) |
※さらされなかった19人のうち、亡くなった日がわかったのは11人(58%)
- 年齢と性別を調整しても、墓に立ち会ったことは、10年以内に亡くなるリスクを高めていませんでした。立ち会った回数が多い人ほど早く亡くなる、という関係もありませんでした
- 生きた年数に関係していたのは、呪いではなく性別(女性のほうが長い)でした。さらされなかった人には、専門家の妻などの女性が多くふくまれていました
- 論文の結論は「ミイラの呪いへのさらされ方と生存とのあいだに、意味のある関係はなかった。呪いがあるという証拠はない」です

プレ男立ち会った人たち、平均で70歳まで生きてたのか!「次々に亡くなった」っていうイメージと全然ちがう…。
研究の限界も、きちんと書かれている
- 人数が少ないので、ごく小さな影響なら見のがしている可能性がある
- 立ち会った人のほうが記録に残りやすく、2つのグループでデータの集まり方に差がある
- 「呪い」がもっと長く・広く効くなら、「さらされなかった人」の決め方が正しくないかもしれない。ただ、発見の次のシーズンには1万2,000人以上が現場を訪れたが、病気が広がることはなかった
こうした弱点も正直に書いたうえで、著者は「呪いの証拠は見つからなかった」と結論しています。

墓の開封に立ち会った25人の亡くなった年齢は平均70歳、立ち会わなかった人は75歳で、統計的な差はありませんでした。呪いを裏づける証拠は見つかっていません。
では、呪いの話はどこから?
- 論文によると、ミイラの呪いは小説から生まれたという見方が広く受け入れられています。たとえば、『若草物語』の作者ルイーザ・メイ・オルコットは、1869年に「ピラミッドで迷って:ミイラの呪い」という短編を書いています
- 1920年代の発掘現場には個性的な人物がそろっていて、「近代で唯一の、ほぼ手つかずのファラオの墓」という発見そのものが、呪いの話を人々の記憶に残し続けたのだろう、と著者は書いています
まとめ
- 「ファラオの呪い」は、1923年のカーナヴォン卿の死(蚊にさされた所からの感染症)を、新聞が呪いと結びつけたことから広まった
- BMJの研究:墓に立ち会った25人の亡くなった年齢は平均70歳、立ち会わなかった人は75歳で差なし。生きた年数にも差なし
- 呪いの話のもとは小説という見方が広く受け入れられている
- 古代エジプトの話は、ピラミッドは宇宙人が作った?もどうぞ
参考文献
- Nelson MR. The mummy’s curse: historical cohort study. BMJ. 2002;325(7378):1482-1484. doi:10.1136/bmj.325.7378.1482. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC139048/ (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
