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メル美「安達ヶ原の鬼婆」って、旅人をおそう、こわいおばあさんの話だよね。

プレ男でも、なんで鬼になったんだろう。最初から鬼だったの?
こんにちは、Dr. Taro です。 日本の妖怪、今回は安達ヶ原(あだちがはら)の鬼婆(おにばば)です。舞台は今の福島県二本松市。二本松市の公式サイトにある民話「安達ヶ原物語」と、青空文庫にある歴史学者・喜田貞吉の文章を読んでみました。
※この記事には、人が命を落とす場面が出てきます。民話のすじを伝える程度にとどめています。
プロフィール(二本松市「安達ヶ原物語」より)
| 名前 | 安達ヶ原の鬼婆。もとは「いわて」という名の老女 |
| もとの身分 | 京の都で、お姫様のお世話をしていた |
| すみか | 奥州、阿武隈川のほとりの一軒家 |
| 鬼になった理由 | 知らずに自分の娘を手にかけてしまい、苦しみの末に |
| 最後 | 僧・祐慶(ゆうけい)を追ううち、如意輪観音の矢に射られる |

勝川春英「七代目片岡仁左衛門の安達ヶ原の黒塚婆」1795年(寛政7年)11月、錦絵(三枚続の中央)。メトロポリタン美術館蔵(JP334、オープンアクセス・パブリックドメイン)。歌舞伎で鬼婆を演じた役者の絵です
姫を救いたい一心で
- 昔、京の都にいわてという老女がいて、かわいいお姫様のお世話をしていました
- ところがお姫様は、大きくなっても口をきくことができません。医者にみせても治りませんでした
- 占い師にみてもらうと、「おなかの中にいる子どもの生き肝を飲めば」と言われます
- いわては、それを手に入れるために京都を出て、奥州まで下っていきました。阿武隈川のほとりに住みつき、旅人を泊めては命をうばうようになったといいます

プレ男最初は、姫を助けたかっただけなんだ…。
晩秋の夜、宿をたのんだ若い夫婦
- ある晩秋の寒い日、若い夫婦、生駒之助(いこまのすけ)と恋衣(こいぎぬ)が「泊まるところがなくて困っています。妻のおなかには子がいるので」と宿をたのみます
- その夜、恋衣が急に腹痛をうったえ、生駒之助は薬を求めに出かけました。そのすきに、いわては恋衣を手にかけてしまいます
- 恋衣は息をひきとる前に、「わたしは母をさがして旅をしています。心当たりの旅人がいたら話してください」と言い残しました
- 持ち物のお守り袋を開けたいわては、驚きます。恋衣は、いわての娘だったのです
- 知らなかったとはいえ、わが娘と孫の命をうばったいわては、苦しみに苦しみぬいて、ついに鬼婆になったといいます

メル美娘は、お母さんをさがして旅をしていたんだね…。悲しすぎる。
「ここを開けてはいけないよ」
- 鬼婆になったいわては、夜になると灯火を高くともして旅人の足をとめ、旅人をおそって暮らしていました
- しばらくたって、聖武天皇の神亀3年(726年)の秋8月、熊野那智の東光坊の阿闍梨(あじゃり)・祐慶という僧が、この一軒家に宿をたのみます
- 寒い夜で、鬼婆は薪をとりに出かけることに。そのとき「ここを開けてはいけないよ」と言いのこしました
- 見るなと言われれば見たくなるのが人情。のぞいた祐慶が見たのは、山のような人の骨でした。祐慶は急いで逃げ出します
お札が山に、谷に、川に
- 帰ってきた鬼婆は、祐慶が逃げたことに気づいて追いかけます
- 追いつかれそうになった祐慶が、熊野那智神社のお札を「山になれ」と祈ってまくと、山ができました。鬼婆は山をこえて追ってきます
- 「谷になれ」とまくと谷、「川になれ」とまくと大きな川。それでも鬼婆は追ってきました
- 祐慶が一心に如意輪観音(にょいりんかんのん)に祈ると、観音の姿が空にあらわれ、破魔の弓に金剛の矢をつがえて鬼婆を射ました。鬼婆はその矢で命を失い、祐慶は助かったといいます
マジレス:話の「火元」は1首の歌?
- 歴史学者の喜田貞吉は、1928年(昭和3年)の短い文章「安達ヶ原の鬼婆々」で、鬼婆の話の「火元」は、平安時代の歌人・平兼盛(たいらのかねもり)の歌だと書いています
- 「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりといふは誠か」(みちのくの安達ヶ原の黒塚に、鬼がこもっているというのは本当か)
- 喜田によると、この歌の詞書(ことばがき:歌のいきさつの説明)では、陸奥国名取郡の黒塚というところに、源重之の妾(めかけ)が大勢いるとうわさを聞いて、その女性たちを鬼に見立ててからかったもの。喜田は「安達ヶ原ではなかった」「安達ヶ原は鬼と言うための言葉の遊び」と書きました
- さらに喜田は、奈良の榛原町(はいばらちょう)の足立、武蔵の足立郡、豊前の足立村にも、「安達」と同じ地名の縁で、鬼婆の話が伝わっていると書いています。話が武蔵、大和、豊前にまで飛んでいくのはおそろしいことだ、としめくくっています
- からかいの1首が、悲しい鬼婆の物語になり、地名をたどって各地に広がった——話が育っていくようすが見えてきます

プレ男からかいの歌が、こんな悲しい話に?話って、伝わるうちに変わっていくんだね。
能の「黒塚」と、いまの安達ヶ原
- 鬼婆の話は、能「黒塚(くろづか)」にもなっています。二本松市の広報紙『広報にほんまつ』2013年1月号では、安達ヶ原の鬼婆伝説が基になっている喜多流「黒塚」が、市内の「安達ヶ原ふるさと村」の野外舞台で、かがり火の中で演じられたことが紹介されています
- 二本松市の公式サイトの指定文化財のページ「史跡・名称・記念物など」には、「安達ヶ原公園」が載っています
- 訪ねるなら明るい時間に、地元の人がたいせつにしている伝説の地として、マナーを守って歩きたいですね

二本松市に伝わる民話では、鬼婆はもともと姫の世話をしていた老女「いわて」。知らずにわが娘の命をうばってしまい、苦しみの末に鬼になったと語られています。
まとめ
- 安達ヶ原の鬼婆は、福島県二本松市に伝わる民話
- もとは京で姫の世話をしていた老女「いわて」。姫の病を治そうと奥州へ下り、旅人をおそうように
- 知らずにわが娘・恋衣を手にかけ、苦しみの末に鬼婆に
- 神亀3年(726年)、僧・祐慶がお札で逃げ、如意輪観音の矢で鬼婆は倒れる
- 喜田貞吉は、話の火元を平兼盛の歌(もとは名取郡の黒塚)と書いた
- 旅人をおそう話は、小泉八雲の食人鬼、山の人の話は遠野物語の山男・山女もどうぞ
参考文献
- 二本松市. 二本松の民話「安達ヶ原物語」. https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/bunka_sports_syo/bunka_rekishi/minwa/page001329.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 二本松市. 指定文化財「史跡・名称・記念物など」. https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/bunka_sports_syo/bunka_rekishi/shitei_bunka/page001109.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 二本松市. 広報にほんまつ 2013年1月号「鬼ばば伝説の地で薪能「黒塚」を鑑賞」. https://www.city.nihonmatsu.lg.jp/data/doc/1509097962_doc_13_8.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
- 喜田貞吉. 安達ヶ原の鬼婆々(余白録)(底本:東北文化研究 第一巻第一号、史誌出版社、1928年). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/card55415.html (閲覧日:2026年10月22日)
- メトロポリタン美術館. Katsukawa Shun’ei, The Actor Kataoka Nizaemon VII as the Old Beggar Woman Kurozuka Babā at Adachigahara, 1795(JP334、パブリックドメイン). https://www.metmuseum.org/art/collection/search/36802 (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
