
プレ男手長足長(てながあしなが)って、手がすごく長いのと、足がすごく長いのの2人組なんでしょ?

メル美どこに伝わっている妖怪なんだろう。こわいの?
こんにちは、Dr. Taro です。 日本の妖怪、今回は手長足長です。歴史学者・喜田貞吉(きた さだきち)が1919年(大正8年)に書いた「手長と足長」(青空文庫)と、文化庁・農林水産省の資料を読んでみました。
プロフィール(喜田貞吉「手長と足長」ほかより)
| 名前 | 手長(てなが)・足長(あしなが) |
| 姿 | 手がとても長い人と、足がとても長い人 |
| 得意技 | 足長が手長を背負って海に入り、魚をとる(『三才図会』の長脚国・長臂国) |
| 神さまとして | 「手長明神」「足長大明神」として、各地にまつられている |
| ゆかりの場所 | 福島県新地町の「新地貝塚 附 手長明神社跡」(国の史跡) |

「足長と手長とタコの根付(Netsuke of Ashinaga and Tenaga with an Octopus)」18世紀、木。メトロポリタン美術館蔵(10.211.2348、オープンアクセス・パブリックドメイン)
もとは、遠い海の国の人たち
- 喜田貞吉によると、書物『三才図会(さんさいずえ)』に「長脚国(ちょうきゃくこく)」と「長臂国(ちょうひこく)」がのっています
- 長脚国の人は、長臂国の近くに住み、いつも長臂国の人を背負って、海に入って魚をとる
- 長臂国の人は、手をたらすと地面にとどく
- 喜田は「全く空想の国には相違ない」と書きつつ、天皇の住まいの清涼殿にあった「荒海の障子」に、この姿が描かれていたことが『枕草子』にも見えて、よく知られていると書いています
- 上の根付も、足の長い人が手の長い人を背負い、長い手でタコをつかまえている姿です

メル美足が長い人は深い海に入れて、手が長い人は魚をつかまえられる。2人で協力してるんだね。
福島・新地の「手長明神」
- 喜田は、関東・奥州には手長の神をまつる社が多いと書き、なかでも有名なのが磐城国宇多郡(今の福島県相馬郡)新地村の手長明神だとしています
- 地誌『奥羽観蹟聞老志(おううかんせきもんろうし)』を引いて、こんな話を紹介しています
- むかし神がいて、ふだんは伊具(いぐ)の山にいて、貝が大好きだった
- ひじがとても長く、山の上から長い手をのばして、東の海から何千もの貝をとって食べ、殻をこの地に捨てた
- 殻はつもって丘のようになった。村の人は、その神を「手長明神」、殻を捨てた場所を「貝塚」と呼んだ
- この場所は、1930年(昭和5年)2月28日に「新地貝塚 附(つけたり) 手長明神社跡」として国の史跡に指定されています。文化庁のデータベースの解説には、「手長明神ハ本貝塚生成傳説ニ関シテ著名ナリ」(手長明神は、この貝塚ができた伝説で有名である)と書かれています

プレ男妖怪の名前が、国の史跡の名前に入ってるんだ!
『常陸国風土記』の巨人と、大串貝塚
- 喜田は、新地の話は『常陸国風土記』那賀郡の「大櫛岡(おおくしのおか)」の話と「全く同一説話」だと書いています
- 農林水産省関東農政局のページでは、その原文をこう紹介しています
- 「上古(いにしえ)に人あり。体は極めて長大(たけたか)く、身は丘壟(おか)の上に居ながら、手は海浜の蜃(うむぎ)を摎(くじ)りぬ。其の食(くら)いし貝、積聚(つも)りて岡となりき」
- 同じページによると、この岡は水戸市の国の史跡・大串(おおぐし)貝塚のこと。風土記が書かれた奈良時代には、海岸線は今とほとんど同じ位置で、海から離れた場所に海の貝がたくさんあるのを、巨人が食べた貝が積もって岡になったと説明したのだろう、としています
- 喜田も同じように、海から離れたところに貝塚があるのを見て、手の長い人が遠くの海から貝をとったのだと想像したのだろう、と書いています
- 『常陸国風土記』のほかの話は、童子女の松原と白鳥の里でも紹介しています
諏訪にも、壱岐にも
- 喜田によると、信州諏訪には手長大明神・足長大明神の2つの社があります。安政4年の『諏訪旧蹟誌』は、ヤマタノオロチの話に出てくる手名椎(てなづち)・足名椎(あしなづち)をまつったのだろうと書いていますが、喜田は「手と足が対になっていることと、呼び名が近いことから想像しただけで、根拠はない」としています
- 『延喜式』には、壱岐に手長比売神社・天手長男神社・天手長比売神社がのっている、とも書いています
- 喜田によると、「手長」という言葉はとても古く、祝詞(のりと)では天皇の御世が長く続くことを祝う言葉として使われました。また、宴会で膳を受けわたす給仕の役も「手長」と呼ばれていたそうです
マジレス:喜田貞吉の説は「臆説」
- 喜田はこの文章の後半で、手長・足長の言い伝えのなりたちについて、『日本書紀』の土蜘蛛(つちぐも)の記述などと結びつけた自分の考えをくわしく書いています
- ただし、最後に本人が「以上は全く自分の臆説である」(すべて自分の推測だ)と書いています。この記事では、喜田の推測の部分ではなく、各地に伝わる話と、史跡として確かめられることを中心に紹介しました

福島県新地町の手長明神は、山から長い手をのばして海の貝を食べ、その殻が貝塚になったと伝えられています。この貝塚は1930年に「新地貝塚 附 手長明神社跡」として国の史跡に指定されています。
まとめ
- 手長足長は、手の長い人と足の長い人。足長が手長を背負って海で魚をとる姿で知られる(『三才図会』の長臂国・長脚国)
- 清涼殿の「荒海の障子」にも描かれていたと、喜田貞吉は書いている
- 福島県新地町の手長明神は、長い手で海の貝をとり、殻が貝塚に。1930年に「新地貝塚 附 手長明神社跡」として国の史跡に
- 『常陸国風土記』の大櫛岡(水戸市の大串貝塚)にも、貝を食べた巨人の話がある
- 諏訪には手長大明神・足長大明神、壱岐には手長の名のつく神社がある
- 山に住む大きな人の話は、遠野物語の山男・山女もどうぞ
参考文献
- 喜田貞吉. 手長と足長 土蜘蛛研究(初出:民族と歴史 第一巻第四号、1919年。底本:先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選、河出書房新社、2008年). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001344/card49815.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 文化庁. 文化遺産オンライン「新地貝塚 附 手長明神社跡」(国指定文化財等データベース). https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/201106 (閲覧日:2026年10月22日)
- 農林水産省関東農政局. 那珂川沿岸農業水利事業所「農と歴史」+a さらに詳しく 大串貝塚と巨人伝説. https://www.maff.go.jp/kanto/nouson/sekkei/kokuei/nakagawa/rekishi/001plus.html (閲覧日:2026年10月22日)
- メトロポリタン美術館. Netsuke of Ashinaga and Tenaga with an Octopus, 18th century(10.211.2348、パブリックドメイン). https://www.metmuseum.org/art/collection/search/59399 (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
