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プレ男山姥(やまんば)って、山にすむこわいおばあさんだよね。『遠野物語』にも出てくるの?

メル美遠野では「ヤマハハ」って呼ぶんだって。しかも、昔話の中にいちばん多く出てくるらしいよ。
こんにちは、Dr. Taro です。 柳田國男『遠野物語』(1910年)の妖怪、今回はヤマハハです。115〜117話の原文を青空文庫で読み、柳田がのちに書いた『山の人生』(1925年)の山姥の章もあわせて見ていきます。
プロフィール(『遠野物語』115〜117話より)
| 名前 | ヤマハハ(柳田は「山姥のことなるべし」と書く) |
| 出てくるところ | 遠野の昔々(昔話)。柳田は「ヤマハハの話最も多くあり」と書く |
| ねらうもの | 親が町へ出かけて留守番をしている娘 |
| 弱いところ | 柴や萱の束を抱えたまま山から滑り落ちる。沼にうつった影を本物と思って飛びこむ |
| 見やぶったもの | 家の鶏の鳴き声(117話) |
115話:遠野の昔話には、ヤマハハが多い
- 115話は短い前置きです。遠野では御伽話(おとぎばなし)のことを「昔々」という。その中にヤマハハの話がいちばん多い。「ヤマハハは山姥のことなるべし」——そして柳田は、その中から一つ二つを次に記すと書いています
- つまり116話と117話は、遠野で語られていた昔話として書きとめられたものです
116話:逃げる娘と、追うヤマハハ
- トト(父)とガガ(母)が、ひとり娘を家において町へ出かけます。「誰が来ても戸を明けるな」と言い聞かせ、鍵をかけて出ていきました
- 娘がこわくて炉ばたにすくんでいると、真っ昼間に戸をたたいて「ここを開け」と呼ぶ者がいます。「開かずば蹴破るぞ」とおどされ、しかたなく開けると、入ってきたのはヤマハハでした
- ヤマハハは炉の横座にふんばって火にあたり、「飯をたいて食わせよ」。娘はお膳を出し、ヤマハハが食べている間に家を逃げ出します

メル美「開けないなら蹴やぶる」って言われたら、開けるしかないよね…。
- ヤマハハは食べ終わると追いかけてきて、いまにも背中に手がふれそうに。娘は山かげで柴を刈るおじいさんに会い、「ヤマハハにぼっかけられている、隠してくれ」と頼んで、刈った柴の中に隠れます
- 追ってきたヤマハハは、柴の束をどけようとして、柴を抱えたまま山から滑り落ちました
- 次は萱(かや)を刈るおじいさん。娘は萱の中に隠れ、ヤマハハはまた萱を抱えたまま山から滑り落ちます
- 娘は大きな沼の岸に出て、行き場がなく大木のこずえにのぼりました。ヤマハハは「どけえ行ったとて逃がすものか」と言い、沼の水にうつった娘の影を見て、沼の中へ飛びこみました

プレ男柴で1回、萱で1回、影でまた1回。ヤマハハ、こわいけどちょっとうっかりしてる…!
石の唐櫃か、木の唐櫃か
- そのすきに逃げた娘は、笹小屋を見つけます。中には若い女がいて、娘は事情を話し、石の唐櫃(からうど)の中に隠してもらいました
- ヤマハハが飛んできて「娘はどこだ」と聞きますが、女は「知らない」と答えます。ヤマハハは「いんね来ぬはずはない、人くさい香がする」。女は「いま雀をあぶって食べたからでしょう」と言い、ヤマハハは納得しました
- ヤマハハは「少し寝よう。石の唐櫃がいいか、木の唐櫃がいいか。石はつめたい、木の唐櫃に」と言って、木の唐櫃に入って寝てしまいます
- 女は唐櫃に鍵をかけ、娘を石の唐櫃から出して、「わたしもヤマハハに連れてこられた者だ。いっしょにこれを殺して里へ帰ろう」。二人はヤマハハを退治し、それぞれ親の家に帰りました
- 柳田は最後に、昔々の話の終わりは、どれも「コレデドンドハレ」という言葉で結ぶと書きそえています
117話:娘になりすましたヤマハハと、鶏の声
- 117話でも、トトとガガが娘の嫁入りの支度を買いに町へ出かけ、「誰が来ても開けるなよ」と言いおきます
- 昼ごろ来たヤマハハは、娘を食べてしまい、娘の皮をかぶって娘になりすましていました
- 夕方帰った二親が「おりこひめこ、いたか」と呼ぶと、「あ、いたます、早かったなし」と返事が。二親は買ってきた支度の品を見せ、喜ぶ顔を見ます
- 次の朝、家の鶏が「糠屋(ぬかや)の隅ッこ見ろじゃ、けけろ」と鳴きました。いつもとちがう鳴き方だと二親は思います
- 花嫁を馬に乗せて送り出そうとしたとき、鶏がまた鳴きました——「おりこひめこを載せなえで、ヤマハハのせた、けけろ」。何度もくり返し歌うので、二親もはじめて気がつき、ヤマハハを馬から引きおろして退治します。糠屋の隅を見に行くと、娘の骨がたくさんありました

メル美116話は娘が逃げきる話なのに、117話は助からない…。気づいたのが鶏だけだった、っていうのがこわいね。
柳田國男『山の人生』:「山姥を妖怪なりとも考えがたきこと」
- 柳田は『山の人生』(初出:アサヒグラフ、1925年)で、山姥を章の題に入れています。第21章の題は「山姥を妖怪なりとも考えがたきこと」です
- 本文では、山姥・山姫は、里に住む人々が、もといくらかの尊敬をこめてつけた呼び名(美称)であり、そう呼ばれてもよいふしぎな女性が、かつて各地の深い山にいたことはほぼ疑いのない日本の現実だった、と書いています
- ただし柳田は同じところで、これについての近世の記録や言い伝えはとても不正確なので、誤解や誇張を細心の注意で見分ける必要があるとも書いています
- 『遠野物語』の昔話のヤマハハと、『山の人生』の山姥の話は、同じ「山姥」という言葉でも、扱いかたがちがうことがわかります。山にすむ人々の話は、山男・山女の記事にもまとめています

『遠野物語』115話で柳田國男は、遠野の昔話にはヤマハハの話がいちばん多く、「ヤマハハは山姥のことなるべし」と書いています。116話・117話は、留守番の娘をねらうヤマハハの昔話です。
まとめ
- ヤマハハは、遠野の昔々(昔話)にいちばん多く出てくる。柳田は「山姥のことなるべし」と書いた(115話)
- 116話:留守番の娘の家に押し入ったヤマハハ。柴・萱の束ごと山から滑り落ち、沼にうつった影に飛びこみ、最後は木の唐櫃で寝ているところを退治される。結びは「コレデドンドハレ」
- 117話:娘になりすましたヤマハハを、鶏の鳴き声が知らせる
- 柳田は『山の人生』で「山姥を妖怪なりとも考えがたきこと」という章を立て、記録や言い伝えの誤解や誇張を見分ける必要も書いた
- 遠野の山のふしぎは、神隠しやマヨイガもどうぞ
参考文献
- 柳田国男. 遠野物語(初出:1910年6月14日。底本:新版 遠野物語 付・遠野物語拾遺、角川文庫、2004年新版). 115・116・117話. 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/card52454.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 柳田国男. 山の人生(初出:アサヒグラフ 第4巻第2号〜第5巻第7号、朝日新聞社、1925年。底本:遠野物語・山の人生、岩波文庫、1976年). 二一「山姥を妖怪なりとも考えがたきこと」. 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001566/card52505.html (閲覧日:2026年10月22日)
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