
プレ男釣りの怪談って、魚が化けて出るとか?

メル美ううん、こわいのは「竿」なんだって。とってもいい竿。
今回は、幸田露伴の「幻談(げんだん)」です。青空文庫の本文(底本:岩波文庫『幻談・観画談 他三篇』1990年、底本の親本:『露伴全集』第六巻)で読みました。本文の末尾には「昭和十三年九月」とあります。年寄りの語り手が、聞き手に向かって話しかける語り口で書かれています。
どんな話?
| 題名 | 幻談 |
| 作者 | 幸田露伴 |
| 本文末の日付 | 昭和十三年九月 |
| 語り | 「もう老い朽ちて」山にも海にも行けない年寄りが、暑い日に聞かせる話 |
| 本題の舞台 | 江戸の海。徳川の世が「まだひどく末にならない時分」 |
| 主な人物 | 本所に住む小普請の武士と、五十すぎの船頭・吉 |
まくら:マッターホルンの十字架
- 語り手は、山にも海にも「怖しい話」が伝わっている、と言って、まず山の話をします
- 1865年、ウィンパーの一行8人がアルプスのマッターホルンに初めて登りました。ところが下山の途中、ひとりが足をすべらせ、ロープが切れて4人が谷底へ落ちていきます
- 残った人たちが夕方6時ごろ、少し安全なところまで下りてきたとき、空にアーチのようなものが見え、そこへ大きな十字架の形が二つ、ありありと浮かびました。一人ではなく、残ったみんなに見えたのだといいます
- 語り手はこの話を、古いお経の言葉「心は巧みなる画師の如し」で結び、本題の海の話に入ります
本題:釣れない二日間
- 主人公は、江戸の本所に住む身分の高くない武士。仕事ができたのに、人のねたみを受けて役をとりあげられ、小普請(こぶしん)入り、つまり役のない身になりました。暇になったので、釣りを楽しみにしています
- 船頭は吉。五十すぎで、客の気持ちをよく呑みこむ「好い船頭」として、いつも使っていました。ねらうのはケイズ(黒鯛)です
- ある日、一匹も釣れません。翌日も、まったく釣れない。客は文句ひとつ言わないので、吉はかえって申しわけなくなり、「もう一ヶ処」と、今まで行ったことのない場所へ舟をやります
- そこで竿をおろすと、魚かごみかわからない強い当たり。竿の継ぎ目がミチリと鳴って、糸が切れてしまいました。客は笑って「帰れっていうことだよ」

プレ男釣れなくても怒らないお客さん、かっこいいな。
暮れかけた海から出る「細い棒」
- 帰り道、海はもう薄墨色に暮れてきました。客がぼんやり海面を見ていると、澪(みお)のほうの水の中から、なにか細い棒のようなものがふっと出ては、また引っこみます
- 「どうも釣竿が海の中から出たように思えるが」。吉が舟を寄せると、その細長いものが勢いよく飛び出し、吉はそれを片手で受けとめました
- たしかに釣竿です。しかも、竿全体が野布袋竹(のぼていちく)の「丸」(つなぎ竿でない一本もの)という、めったにない良い竿。そして竿の根もとを見た客が言います。「ヤ、お客さんじゃねえか」
- 「お客さん」とは、漁に出る人たちが水死者を指して言う言葉だ、と作品は説明しています
竿を放さない老人
- 吉が竿を引くと、水の中ほどに浮いていた遺体が、客のすぐ前まで出てきました。でっぷり太った、眉の細く長い、耳たぶの大きい、六十近い男。白い足袋をはき、刀を一本さしていそうな身なりです
- 客も思わず竿を握ります。手にしてみると、その竿に「愛念」がわいてきました。ところが、水の中の人が竿尻をしっかり握っていて、こづいても放しません
- 「お客さんが持って行ったって三途川で釣をする訳でもありますまい」と吉。客はとうとう、老人の指に自分の親指をかけて「ぎくり」とはずします。遺体は潮下へ流れていき、竿だけが残りました
- 客は手をよく洗い、ふところ紙で拭いて海へ捨てます。白い紙玉は、魂のようにふわふわと夕闇の中を流れていきました

メル美死んでも放さないほど大事にしていた竿なんだ…。それを取っちゃうのは、ちょっとこわい。
竿を調べる二人
- 翌日は雨。昼近くに吉がやってきて、二人で竿を洗って調べます。あれほど濡れていたのに、少しも水がしみていないように軽い。節まわりは無類によく、手もとには小さな穴をあけて何かを入れ、ふさいだような細工がありました
- 先についていた糸は、太いところから少しずつ細くつないだ「段細(だんぼそ)」。吉は、竿が折れる前に先の細いところで糸が切れるようにしてある、この人はよほど竿を大事にしていたのだ、と読みときます
- 二人は竿に見入るうちに、あの老人が死んでも放さなかった心持ちが、だんだんわかってきました
二日目の夕暮れ
- 雨があがって、その竿を持って出ると、今度は釣れるわ、釣れるわ。あまり釣れるので遅くなり、きのうと同じような暮れがたになりました
- 竿は苫(とま)の裏にあげて、帰り道。吉が艪に水をかけて、ふと見ると——東の方に、きのうと同じように、葭のようなものがヒョイヒョイと出たり引っこんだりしています
- 吉は強がって「竿はこっちにあるんだから」と言いますが、苫の裏はもう暗くて、竿があるかないかもわかりません。客と船頭は、たがいの顔を見あわせます
- 竿は、もとよりそこにありました。けれど客は竿を取りだし、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と言って、海へかえしてしまいました

二日目の夕暮れ、海の中にまた竿のようなものが見えたとき、竿は舟の上にちゃんとありました。それでも武士は「南無阿弥陀仏」と唱えて、竿を海へかえします。
読みどころ
- こわいものを最後まで説明しない:二日目に海の中から出ていた「竿のようなもの」が何だったのか、作品は書きません。竿は舟の上にあるのに、という一点だけで、ぞっとさせます
- 釣りのくわしさ:ケイズ釣りの作法、澪釣り、かかり前の釣り、段細の糸、野布袋竹の育て方——話の半分近くが釣りの話です。そのくわしさがあるから、「死んでも放したくない竿」という気持ちに読者もうなずけます
- 客と船頭の人柄:釣れなくても笑って「帰れっていうことだよ」と言う客と、なんとか土産を持たせたい吉。二人のやりとりが、最後の「海へかえす」場面の重みになっています
- まくらとの響きあい:山の話の「心は巧みなる画師の如し」が、海の話の最後に見えたものにも重なるように置かれています
まとめ
- 「幻談」は幸田露伴の作品。本文の末尾に「昭和十三年九月」
- まくらは、マッターホルン初登頂のあとに空に浮かんだ二つの十字架
- 本題は、本所の小普請の武士と老船頭・吉の釣り。釣れない帰り道、夕暮れの海から釣竿があらわれ、その根もとを握っていたのは水死した老人
- 指をはずして手に入れた見事な竿。でも次の夕暮れ、海にまた同じものが見えて、武士は竿を海へかえした
- 同じ露伴の「観画談」、釣りの帰りに声がする田中貢太郎のおいてけ堀、鰻釣りの名人が帰らない泉鏡花の夜釣もどうぞ
参考文献
- 幸田露伴. 幻談(底本:『幻談・観画談 他三篇』岩波文庫、岩波書店、1990年。底本の親本:『露伴全集』第六巻、岩波書店、1953年). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card361.html (閲覧日:2026年10月22日)
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