
メル美「因果」って、むかしの行いの報い、っていう意味だよね。どういう話なんだろう。

プレ男桜を見たい、っていうきれいな願いから始まるのに、すごくこわいらしい…。
今回は、小泉八雲の『In Ghostly Japan』に入っている「INGWA-BANASHI」です。英語の原文を Project Gutenberg で読みました。題名の「因果ばなし」と、本文中の「」の言葉は、英語の原文から Claude が訳したものです。
どんな話?
| 題名 | INGWA-BANASHI(因果ばなし) |
| 作者 | 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) |
| 収録 | 『In Ghostly Japan』 |
| もとになった本 | 八雲の注によると、題も話も『百物語(Hyaku-Monogatari)』という怪談集にある |
| 時代 | 文政12年(1829年)の4月、桜の季節 |
| 主な人物 | 死の床にある大名の奥方/19歳の側室・ユキコ |
題名の「因果」
- 八雲は注で、「因果」とは、前の世で犯したあやまちの悪い報いをいう仏教の言葉だ、と説明しています
- そして、死者が生きている人を害することができるのは、害される側に前の世の悪い行いがあるからだ、という仏教の教えで、この奇妙な題が説明できるかもしれない、と書いています
死の床の奥方
- 大名の奥方は、文政10年の秋から床を離れられず、文政12年(1829年)の4月、桜が咲くころ、自分がもうすぐ死ぬことを知っていました。庭の桜を思い、子どもたちを思い、夫の側室たち、とくに19歳のユキコのことを思います
- 大名は、3年のあいだ夜も昼も看病し、祈り、断食までしてきたことを語り、どれほど費用がかかっても、来世のための供養をすべて行う、と約束します
- 奥方は感謝を述べ、ひとつだけ最後のお願いがある、と言いました。「ユキコを呼んでください。妹のように思っているのです。この家のことを話しておきたいの」
やさしい言葉
- 枕もとにひざまずいたユキコに、奥方は言います。私のかわりに、殿にまごころをつくしてほしい。私よりずっと愛され、早く位があがって、奥方になってほしい。ほかの女に殿の心をうばわれないように
- ユキコは「身分の低い私が、そんなことを望めるはずがありません」とことわりますが、奥方は「今は儀礼の言葉はやめて、本当のことだけを話しましょう」と言い、もう一度、奥方になってほしいとくり返しました
- そして思い出したように言います。おととし大和の吉野から移した八重桜が、今満開だと聞いた。死ぬ前にどうしても見たい。「背負って、庭へ連れていって」

プレ男ここまでは、やさしい奥方さんと、最後の願いの話に見えるんだけど…。
「願いがかなった」
- 大名も「この世で最後の願いだ。かなえてやってくれ」とうなずきます。ユキコは、子どもを背負う乳母のように背中をさしだしました
- 奥方はユキコの肩にすがって立ちあがります。ところが、立ちあがったとたん、やせた両手を肩から着物の中へすべりこませ、ユキコの胸をつかんで、意地の悪い笑い声をあげました
- 「願いがかなった! 桜を見たいという願いが——でも、庭の桜ではないわ!」。八雲は注で、日本の詩歌では女性の体の美しさが桜にたとえられる、と説明しています
- そう言って、奥方はユキコの上にくずれ落ち、息をひきとりました
離れない両手
- 付きの者たちが遺体を床にもどそうとしますが、どうしてもできません。冷たい両手が、ユキコの胸にくっついてしまっていたのです。指が握っているのではなく、手のひらの肉が胸の肉と一つになっていました
- 医者たちにもわからず、当時江戸でいちばん腕がいいといわれたオランダ人の外科医も呼ばれました。外科医は、胸から引きはがすのは危険で、遺体の手首から切りはなすしかない、と言います
- 手首から切りはなされた両手は、胸についたまま黒ずみ、ひからびました。けれど、それは恐ろしさの始まりにすぎなかったのです
丑の刻から寅の刻まで
- ひからびた両手は、死んではいませんでした。ときどき、大きな灰色の蜘蛛のように、そっと動きます。そして毎晩、丑の刻になると、つかみ、しめつけ、苦しめるのでした。苦しみがやむのは寅の刻になってから
- 八雲の注によると、丑の刻は午前2時から4時までで、とくに幽霊の時刻とされていました
- ユキコは髪をおろして托鉢の尼になり、「ダッセツ(Dassetsu)」と名のりました。奥方の戒名を書いた位牌をつくって、旅のあいだずっと持ち歩き、毎日その前で許しをこい、供養をつづけます
- それでも、その苦しみをもたらした悪い因果は、すぐには尽きませんでした。毎晩丑の刻、両手は17年以上も彼女を苦しめつづけた、と伝えられています

ユキコは尼になり、奥方の位牌を持って旅をしながら、毎日その前で許しをこい、供養をつづけました。それでも両手は、毎晩丑の刻に17年以上も彼女を苦しめた、と八雲は書いています。
最後の記録
- この話は、弘化3年(1846年)、下野の国の河内郡田中村のノグチ・デンゴザエモン(Noguchi Dengozayémon)という人の家に、彼女がひと晩泊まったとき、最後に話を聞いた人たちの証言によるものだ、と八雲は書いています
- そのあと、彼女のことは何も聞かれなくなりました
読みどころ
- やさしさの裏がえし:「妹のように思っている」「奥方になってほしい」という言葉が、最後の一言で全部ひっくり返ります。読み返すと、奥方の言葉の一つひとつがちがって聞こえます
- ユキコは何も悪いことをしていない:作品の中のユキコは、身分をわきまえてことわり、言われたとおりに背中をさしだしただけです。それでも苦しむのは「前の世の因果」だから、というのが題名の意味だと八雲は説明しています
- 日付と場所のある怪談:文政12年、オランダ人の外科医、弘化3年、下野の国の田中村。実在の記録のように書かれていることが、こわさを増しています
- 生きている人の心が人を苦しめる話は「生霊」、亡くなった妻が夫のもとに通う話は「おかめのはなし」にもあります
まとめ
- 「INGWA-BANASHI」は、小泉八雲『In Ghostly Japan』の一編。八雲の注では『百物語』から
- 文政12年(1829年)の春、死の床の大名の奥方が、19歳の側室・ユキコに「八重桜を見たいから背負って」とたのむ
- 背負われた奥方はユキコの胸をつかんで笑い、そのまま息をひきとる。両手は離れず、手首から切りはなしても毎晩丑の刻に動きだす
- ユキコは尼になって供養をつづけたが、苦しみは17年以上つづいた
- 八雲の『怪談』については「小泉八雲の『怪談』」もどうぞ
参考文献
- Lafcadio Hearn. In Ghostly Japan. “Ingwa-banashi”. Project Gutenberg. https://www.gutenberg.org/ebooks/8128 (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
