
プレ男狐が汽車に化ける!?妖怪って、もっと昔からいるものだと思ってた。

メル美明治の鉄道といっしょに生まれた、新しい言い伝えなんだって。
日本の妖怪、今回は偽汽車(にせぎしゃ)です。佐々木喜善(1886〜1933年)の『東奥異聞』(初出は1926年、閑話叢書・坂本書店)の「偽汽車の話」を中心に、井上円了の『おばけの正体』と『迷信解』にある同じような話もあわせて、青空文庫の本文で読みます。
プロフィール(『東奥異聞』「偽汽車の話」より)
| 名前 | 偽汽車 |
| あらわれる場所 | 汽車が通るようになった野原や山あいの線路。岩手県二戸郡の大野、陸中の後藤野、仙台に入って小牛田、栃木の那須野ヶ原など |
| 時刻 | いつも夜行のとき。朧月の夜の話も |
| すること | 火を吐き汽笛を鳴らして向かってくる。こちらが止まれば止まり、走れば走る |
| 正体 | 話の結末では、きまって古ギツネ(狐狸のしわざ) |
| 生まれた時代 | 佐々木によれば「ごく新しい最近にできた話」で、明治十二、三年から二十年前後のころのもの |
「どこでも同じすじ」の話
- 佐々木は、自分のところから20里ほどの後藤野(陸中の和賀郡)の話を、その「あらすじ」として紹介します
- 野原に汽車が通るようになってまもないころ。夜行の汽車が野原を走っていると、来るはずのない列車が、火を吐き笛を吹いて向こうから走ってくる
- 機関士があわてて止めると、向こうも止まる。走りだせば、向こうも走りだす。野中で思わぬ時間をとられ、とんでもない故障や事故も起きた
- ある夜、機関士が思いきって、向かってくる汽車にそのまま突っこんでいくと、まるで手ごたえがない。相手の汽車はあっけなく消えてしまった。翌朝しらべてみると、そこには大きな古ギツネが数頭、汽車にひかれて死んでいた——佐々木は、どこの話もこのすじで、たぶん大差はないだろう、と書いています

メル美こわいけど、最後の狐はちょっとかわいそう…。
大正10年の新聞記事
- 佐々木は「その好例」として、大正10年10月21日の『万朝報』の記事を全文引いています。中央線の松本と篠ノ井のあいだ、地すべりに悩まされ「地獄鉄道」とも呼ばれた潮沢の山中の話です
- ひとつは、ある朝、線路の上で、大きな眼鏡をかけ太い煙管でもくもくとたばこをふかす真っ黒な怪物に出あって腰を抜かした、お半婆さんの話。それは汽車でした。婆さんはその後、汽車を見なれても、先頭の機関車だけは生き物だと言いはっていたといいます
- もうひとつは、雨のそぼ降る6月の朧月夜。白坂トンネルの近くで、機関士が前から来る列車を見つけます。非常汽笛を鳴らすと向こうも鳴らす。止まると向こうも止まる。鏡に映すようにまねをする。思いきって進むと、ぶつかると思った瞬間に消えた
- 同じことが2、3度あり、いつも月の朧な夜でした。やがて線路で一頭の古ギツネがひかれて死ぬと、それもなくなった。近くには今もその狐の祠があるとか——記事はこう伝え、月夜の山あいには、機関士の錯覚をさそう木や岩の影もあるだろう、とも書いています
「船幽霊」とのちがい
- 佐々木は、偽汽車を、昔からある船幽霊の話とくらべます。船幽霊の話は、神秘な海という背景があるので、いまも不可思議なものとして語られる
- けれど偽汽車の話は、どれも「あつらえたように」少しユーモアのまじった狐狸のしわざで終わる。話す人も、船幽霊ではどこまでも神妙な顔で語るのに、偽汽車では語りおえてから「破顔一笑」するのが型だ、と書いています
本場では「知らない」と言われる
- 佐々木がこの話の発生地と言われる村へ行って聞くと、土地の人は決まって「そんなことはあるものか、知らぬ」と言い、「それはおれのところの話ではないが、関東の那須野ヶ原にあった話だそうな」と教えてくれるのだそうです
- 鉄道の記録を調べても、きっと「ない」と言われるだろう。それなら、ただの作り話として消えてしまいそうなものなのに、事実は正反対で、北海道へ、樺太へ、日本人の行く新しい土地へどんどん広がり、山あいの軽便鉄道にまで噂されるようになっている
- 佐々木は、木や岩の幻影という説明は井上博士の『妖怪学講義』でも見ればすぐ片がつくだろうが、それだけでは片づかないのは「どうしてそんな話がこれほど広まったのか」という点だ、と言います。そして自分の考えを「どうも……」と言いかけたところで、文章は終わっています

佐々木喜善は、偽汽車の正体を説明するより、「どうしてそんな話がこれほど広まったのか」を問いました。本場とされる村では「知らぬ、よその話だ」と言われるのに、話は鉄道とともに遠くまで広がっていったからです。
井上円了の説明:「狐の汽笛」
- 妖怪を研究した井上円了も、『おばけの正体』(緒言は大正3年)の「汽笛にだまされた話」で、よく似た話を取りあげています。東海道線や山陽線で、夜中に向こうからしきりに汽笛が聞こえ、鉄道が単線だったので衝突をおそれて途中で停車したが、汽車は来なかった。「狐が汽笛を鳴らしてだましたのだ。その証拠に、翌朝線路で狐が死んでいた」と評判になった、という話です
- 円了の説明は、夜ふけで世の中が静まると、風のぐあいで、ほかの線路や遠くの汽車の汽笛が、ほんの数丁先のように聞こえる。それを向こうから来る汽車と聞きちがえたのだろう、というものでした
- 狐が死んでいたというのは、話に尾ひれがついたもので当てにならない。もし狐が汽笛でだましていたのなら、汽車が走りだしたのになぜ線路から逃げなかったのか、それこそ奇怪だ。死んでいたとしても偶然の出来事で、汽笛とは関係がない——と円了は書いています
- 『迷信解』(明治37年)でも、円了は同じ話を、ふいごの音を「狸の腹鼓」と聞きちがえた話とならべて、「誤怪」(聞きちがい・見まちがいから生まれた妖怪)の例にあげています
この妖怪の読みどころ
- 新しい技術が、新しい妖怪を生む:汽車は、野原の夜に突然あらわれた「火を吐き、大声で鳴く」巨大なもの。お半婆さんが機関車を生き物だと思ったように、人びとがそれをどう受けとめたかが、話の中に残っています
- 昔ながらの「化かす狐」:乗りものは新しくても、正体はいつもの狐狸。最後に笑って終わる型は、狐と狸の化かし話の流れの上にあります
- 説明する人、問いかける人:円了は「聞きちがい」と説明し、佐々木は「なぜ広まったのか」と問う。二人の読み方をくらべると、妖怪の見方は一つではないことがわかります
- 円了が実地に調べた妖怪の話としては、山梨の口笛の怪声もあります
まとめ
- 偽汽車は、夜の線路で本物の汽車の前にあらわれ、止まれば止まり、走れば走るまぼろしの汽車
- 突っこむと消え、翌朝の線路には古ギツネ——結末はいつも狐狸のしわざ
- 佐々木喜善『東奥異聞』(1926年)は、後藤野の話と、大正10年の『万朝報』にのった信州・潮沢の話を紹介し、「ごく新しい口碑」がなぜ広く広まったのかを問う
- 井上円了は、同じような「狐の汽笛」の話を、遠くの汽車の汽笛の聞きちがいと説明した
参考文献
- 佐々木喜善. 東奥異聞「偽汽車の話」(底本:『世界教養全集 21』平凡社、1961年。初出:『東奥異聞』閑話叢書、坂本書店、1926年). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000263/card53817.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 井上円了. おばけの正体「第二一項 汽笛にだまされた話」. 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001021/card49355.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 井上円了. 迷信解「第二段 狐狸のこと」. 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/001021/card49373.html (閲覧日:2026年10月22日)
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