
プレ男千葉に「入ったら二度と出られない森」があるって聞いたんだけど、ほんと?

メル美「八幡の藪知らず」だよね。どんな場所で、なんでそう言われるようになったんだろう。
こんにちは、Dr. Taro です。 今回は、「入ったら出られない」「祟りがある」と言われる千葉県市川市の八幡の藪知らず(やわたのやぶしらず)です。市川市の公式サイトと、市川市立図書館がまとめた資料(江戸時代の本の原文を抜き出したもの)をもとに見ていきます。
どんな場所?
- 市川市によると、八幡の藪知らずは、国道14号をはさんで市役所の向かいにある、鳥居と祠(ほこら)に護られた小さな竹藪です。正式には「八幡不知森(やわたしらずのもり)」と呼ばれます
- 市川市立図書館の資料によると、広辞苑(第7版)にも項目があり、「ここに入れば再び出ることができないとか、祟りがあるとかいわれる。転じて、出口のわからないこと、迷うことなどのたとえ」と書かれています
- 市川市は、江戸川乱歩『孤島の鬼』や夏目漱石『行人』などの小説にも、迷いこんで出られなくなることのたとえとして使われていると紹介しています
- 鳥居の右側には、安政4年(1857年)に建てられた「不知八幡森」と刻まれた石碑があります。市の歴史博物館は、明治末〜大正初めごろとみられる写真に茶屋のような建物も写っていることから、「江戸時代の後期には観光スポットとして整備されていた」と書いています

メル美こわい森っていうより、江戸時代から「名所」だったんだ。
江戸時代の本に書かれた言い伝え
市川市立図書館の資料には、江戸時代の地誌や紀行文の該当箇所が原文で収められています。言い伝えは、本によってばらばらです。
- 平将門の家来の話:『葛飾記』(寛延2年・1749年)は、平将門が討たれたあと、そのあとを慕ってきた6人の近習が土の人形となってこの森に入り、のちに雨や雪で崩れて土になった。だから中の土を踏むと祟りで死んで出られない、という「里諺(さとのことわざ)」を記しています。ただし著者は「これは相馬郡からの道筋ではないので、どうだろうか」と、自分でも首をかしげています
- 日本武尊の陣の跡という話:『勝鹿図志手繰舟』(文化10年・1813年)は、日本武尊が「八陣」をしいた跡なので人が出られないと言い伝えている、と書いています
- 八幡宮の元の場所という話:『葛飾誌略』(文化7年・1810年)や『江戸名所図会』は、むかし八幡宮が鎮座した地と伝え、だから注連縄を張って、みだりに入るのを禁じている、と書いています
- 水戸黄門の話:市川市によると、平貞盛が将門を討つときに「八門遁甲」の陣をしき、ここに「死門」の一角を残したので入ると祟りがある、という話を聞いた徳川光圀が藪に入ると、白髪の老人が現れて戒めた、という話があり、三枚つづりの錦絵になって全国に広まりました

プレ男将門の話もあれば、日本武尊の話もある…。理由がひとつじゃないんだね。
マジレス:江戸時代の人も「信じがたい」と書いていた
- 『遊歴雑記』(文化11年・1814年)の著者は、実際に藪を見に行っています。広さは間口・奥行きとも10間(約18m)ほど、およそ百坪あまりで、木がまばらなので中は暗くなく、外からよく見えると書きました
- 光圀が顔を土色にして出てきた、入った者が血を吐いて死んだ、などのうわさを並べたうえで、土地の人に聞いても話は「大同小異」で、「是信じがたし」(これは信じがたい)と書いています
- そして、地元の名主の話として、この藪は行徳領の兵庫新田という村の持ち物なので、八幡宿の中にあっても八幡の人は一切かまわない、と記しています
- 『江戸名所図会』も、「この森のまわりはみな八幡の土地だが、森だけが行徳の持ち分なので、八幡の中の『八幡知らず』と呼んだ」という説を紹介しています
- 市川市も、史実としては「この地が行徳の入会地(村などが共同で持つ山林など)であり、八幡の住民はみだりに入ることが許されなかったので、『八幡知らず』と言われたのが藪知らずになったのではないか」と紹介しています

江戸時代の『遊歴雑記』の著者は、藪を実際に見て「外からよく見える」「是信じがたし」と書いています。市川市も、行徳の入会地だったので八幡の人が入れなかった、という説を紹介しています。
見に行くなら:法律とマナー
- 中には入らない。『江戸名所図会』や『成田参詣記』は、人が入るのを戒めて垣をめぐらしていたと書いています(『遊歴雑記』のように「垣根はない」と書く本もあります)。鳥居と祠のある場所なので、外から静かに見るだけにしましょう
- 軽犯罪法1条32号は、「入ることを禁じた場所」に正当な理由なく入った人を、拘留または科料にすると定めています
- 刑法188条は、神祠・仏堂・墓所などの礼拝所に対して公然と不敬な行為をした人を、6か月以下の拘禁刑または10万円以下の罰金にすると定めています。祠の前でふざけたり、物を投げこんだりしないでください
- すぐ横は国道14号です。写真を撮るときも、歩道で立ち止まって人の通行をふさがないようにしましょう
- 由来をもっと知りたいときは、近くの葛飾八幡宮の歴史とあわせてたどると、八幡の町の成り立ちがわかります

プレ男入らずに外から見て、江戸の人がどんな話をしてたか思い出すくらいがちょうどいいね。
まとめ
- 八幡の藪知らずは、市川市役所の向かい、国道14号ぞいにある小さな竹藪。正式には「八幡不知森」
- 江戸時代の本には、将門の家来が土の人形になった話、日本武尊の陣の跡、八幡宮の元の場所など、理由がいくつも書かれている
- 1814年の『遊歴雑記』は、実際に見て「外からよく見える」「是信じがたし」。市川市も「行徳の入会地だったので八幡の人が入れなかった」という説を紹介
- 1857年の石碑や茶屋の写真から、江戸時代の後期には名所として整えられていた
- 中に入らない・祠の前でふざけない。将門の「祟り」伝説は大手町の将門塚、「勝手に動く」ふしぎの正体はこっくりさんもどうぞ
参考文献
- 市川市立図書館. 地域資料レファレンス2「八幡のやぶ知らずとは…」(2015年12月発行、2022年1月改訂。『葛飾記』『葛飾誌略』『勝鹿図志手繰舟』『江戸名所図会』『遊歴雑記』などの該当箇所の翻刻を収録). https://www.city.ichikawa.lg.jp/uploaded/attachment/4801.pdf (閲覧日:2026年10月22日)
- 市川市(文化財課). 葛飾八幡宮と文化財「八幡の藪知らず」. https://www.city.ichikawa.lg.jp/page/7428.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 市川市(文化芸術課). 八幡・菅野界隈「八幡不知森」. https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul01/1421000003.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 市川市. 広報いちかわ 令和2年7月4日号 連載「葛飾八幡宮と八幡の藪(やぶ)知らずの石碑」(歴史博物館). https://www.city.ichikawa.lg.jp/site/kohoichikawa/6154.html (閲覧日:2026年10月22日)
- 軽犯罪法(昭和23年法律第39号)第1条. e-Gov法令検索. https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000039 (閲覧日:2026年10月22日)
- 刑法(明治40年法律第45号)第188条. e-Gov法令検索. https://laws.e-gov.go.jp/law/140AC0000000045 (閲覧日:2026年10月22日)
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