目次
※この作品には、怪物を斧で殺す場面と、娘と母親が自ら谷へ身を投げる場面が出てきます。題名と作中の「黒ん坊」は、いまでは差別的な言葉ですが、作品の題名と作中の呼び名なので、原文のまま使っています。

プレ男山奥の一軒家に泊めてもらう話って、だいたい何か出るよね。

メル美今回は「笑い声」なんだって。それも、人の声じゃないの。
今回は、岡本綺堂の「くろん坊」です。青空文庫の本文(底本:『鷲』光文社文庫、1990年。底本の親本:『異妖新篇―綺堂読物集第六巻』春陽堂、1933年)で読みました。初出は『文藝倶楽部』1925年(大正14年)7月です。
どんな話?
| 題名 | くろん坊 |
| 作者 | 岡本綺堂 |
| 初出 | 『文藝倶楽部』1925年(大正14年)7月 |
| 語り | 「わたし」が、若いころ叔父から聞いた話を思い出して語る |
| 舞台 | 文久2年(江戸末期)の秋、美濃の山奥。下大須の村の手前の一軒家 |
| 主な人物 | 語り手の叔父(当時26歳)/一軒家の若い僧/下大須の老人/杣の源兵衛の一家 |
きっかけは『享和雑記』
- 語り手は、『未刊随筆百種』のなかの『享和雑記』に「濃州徳山くろん坊の事」という一項があるのを読み、若いころ叔父から聞いた「黒ん坊」の話を思い出した、と書きはじめます
- 作品のなかで「黒ん坊」は、人でも猿でもなく、からだに薄黒い毛が一面に生えた、山奥に棲む怪物の呼び名です。土地では「人間と猿との合の子」のようにいわれています
隠密の山越え
- 文久2年の秋、26歳の叔父は、江戸幕府の命令で美濃の大垣へ出張しました。役目は隠密。小間物を売る旅商人に化けて、大垣藩のようすをさぐります
- ひと月あまりたったころ、ただの商人ではないと怪しまれたらしく、身をかくさなければならなくなりました。本街道は追っ手がこわいので、反対の方角へ、山越えで越前へぬけようとします
- 外山村から糸貫川をさかのぼって根尾村へ。江戸育ちの叔父には毎日の山道がこたえ、9月17日の日暮れ、下大須まであと一里というところで、深い谷ぞいの細い道をたどっていました
谷のそばの一軒家
- 枯れすすきの奥に、橡(とち)や栗の大木にかこまれた小屋が見えました。板戸のすきまからのぞくと、三十前と見える若い僧が、仏前で経を読んでいます
- 僧はこころよく迎え入れ、湯をわかし、灰汁にひたして苦みをぬいた橡の実を出してくれました。話を聞くと、この家で生まれ、11歳のとき旅の僧に連れられて鎌倉の大きな寺へ行き、16年修業したといいます
- 留守のあいだに、妹、母、父が3年つづけて亡くなった。帰ってきて丸3年。「ある物に引留められて」、3年、5年、10年、あるいは一生、ここを動けないかもしれない、と僧は言いました
「何事があっても、お気にかけられぬように」
- 泊めてほしいと頼むと、僧ははじめ迷惑そうに断りました。叔父が「足をふみはずしたら、深い谷底へ落ちるかもしれない」と言ったとき、僧の顔はまたくもります
- 結局、泊めてもらえることになりましたが、僧はひとつ念をおしました。夜中に何事があっても、決して気にかけないように、と
- 真夜中、僧はそっと雨戸をあけて表へ出ていきます。冷たい夜気が流れこみ、仏前の灯りが消えました。そして闇のむこうから、笑うような声が聞こえてきます
- 乾いた物と堅い物とが打ちあうような、「かちかち」「からから」という音。人の声でも猿の声でもなく、あざけり笑うような、いやな声でした
- 叔父は護身の匕首(あいくち)を手にとりかけますが、思いなおします。僧が自分に注意したのは、この声を人に聞かせたくなかったからだろう。何も知らない顔をしているのが、一夜の恩に報いることだ、と

メル美こわいのに、泊めてくれた人に気をつかって知らないふりをするんだね。
谷に向かって合掌する僧
- 翌朝、僧はふだんどおりにもてなし、叔父も「朝までぐっすり眠った」と答えます。二人とも、ゆうべのことは口にしません
- 別れて少し行ってふり返ると、僧は朝霜の土の上にひざまずいて、谷に向かって合掌していました
- 下大須の村で休ませてもらい、ゆうべの「気味の悪い声」の話をすると、老人はため息をつきました。「あの声のために親子三人が命を取られたのだからな」
老人の長い話
- 山に棲む黒ん坊は、人に害を加えたという話はなく、杣小屋などにあらわれては食べ物をもらい、そのかわりに重い物を運ぶ手伝いをしていました。言葉は話せませんが、手まねで言えばたいていのことはのみこんだといいます。「ある地方では山男といい、ある地方では山猿という」と作品は書いています
- とくに親しかったのが、杣の源兵衛の一家でした。息子の源蔵が鎌倉へ行ってしまい、男手の少ない家では、黒ん坊をほとんどふつうの人のように扱っていました
- あるとき源兵衛は、冗談半分に言います。娘のお杉が年ごろになったら、おまえを婿にしてやる、と。その日から黒ん坊は、どんな吹雪の日も欠かさず手伝いに来るようになりました
- お杉が17の春、松田の村の旧家から婿を迎えることが決まります。結納もすんだ3月の夕暮れ、黒ん坊はお杉を連れていこうとし、かけつけた源兵衛は斧で黒ん坊を殺して、その亡骸を谷へ投げこみました。女房のお兼は小声で言います。「おまえさんがつまらない冗談をいったから悪いんだよ」
枝にかかった髑髏
- 亡骸は谷底までは落ちず、崖の途中につき出た松の枝にかかっていました。足がかりのない断崖で、だれも手をつけられません
- 黒ん坊のうわさが広まると、婿の家は気味わるがって、盂蘭盆の前に破談にしてしまいます
- 亡骸は腐って骨になり、くずれ落ちましたが、首の骨だけは、片目を折れた枝の先につらぬかれて残りました。破談の知らせが来た夜、その髑髏は、あざけり笑うように「からから」と鳴ります
- 源兵衛は「乾いた髑髏が山風にあおられて枝を打つだけだ」と言いますが、その夜からつづく不幸のなかで、お杉、お兼が次々に谷へ身を投げ、最後は源兵衛も、髑髏をたたき落とそうと藤蔓で崖をおりた途中で蔓が切れ、谷底へ消えました

源兵衛は、髑髏の音は乾いた骨が山風にあおられて枝を打つだけだと言いました。それでも一家は、その「からから」という音のなかで、ひとりずつ谷へ消えていきます。
「あの髑髏が朽ちて落ちるまでは」
- 村人の知らせで鎌倉から戻ってきた息子の源蔵は、いまは源光という立派な僧になっていました。修業にうちこんで一度も故郷に帰らなかったことを、深く悔やみます
- 「あの髑髏がおのずと朽ちて落ちるまでは、決してここを離れませぬ」。源光はそう誓って空き家にとどまり、丸3年、経を読みつづけてきました。けれど髑髏はまだ朽ちない、まだ落ちない、まだ笑っているのでした
- 村の者が、畚(もっこ)をおろして髑髏をとりのけようと言っても、源光は「自分にまかせておいてくれ」と承知しないといいます
- その夜、上大須の村に泊まった叔父のもとに、山もふるえるような大あらしが来ました。この風雨が枝を折るか、髑髏を吹き落とすか、あの僧は風雨に向かって経を読んでいるか——叔父は眠らずに考えあかした、と話は終わります
読みどころ
- 音だけのこわさ:前半、叔父は何も見ていません。聞こえるのは、乾いた物が打ちあうような「からから」という音だけ。その正体が後半の老人の話でわかり、前半の夜がもう一度こわくなる組み立てです
- 冗談のひとこと:すべての発端は、源兵衛が冗談半分に言った「婿にしてやる」でした。お兼の「おまえさんがつまらない冗談をいったから悪いんだよ」に、源兵衛は何も答えません
- 説明と信じることのあいだ:源兵衛は髑髏の音を「風で枝を打つだけ」と説明し、お兼は「わたしたちの不幸をあざ笑っている」と信じました。作品はどちらとも決めず、音が鳴りつづけるようすだけを書いています
- 結末を書かない:あらしの夜、髑髏が落ちたのか、僧がどうしていたのかは書かれません。読者も、叔父といっしょに眠れない夜をすごすことになります
- 山の旅人が一軒家で不思議に出会う話は、同じ綺堂の「木曽の旅人」にも。山奥に住む背の高い人たちの言い伝えは、遠野物語の山男・山女でどうぞ
まとめ
- 「くろん坊」は岡本綺堂の怪談。初出は『文藝倶楽部』1925年7月
- 文久2年の秋、隠密の叔父が美濃の山越えの途中、谷のそばの一軒家に泊まり、夜ふけに「からから」という笑い声を聞く
- 正体は、谷の木の枝にかかった黒ん坊の髑髏。杣の源兵衛の冗談のひとことから始まった、一家の悲劇の形見だった
- 鎌倉で修業した息子の僧は、髑髏が朽ちて落ちるまでここを離れないと誓い、経を読みつづけている
- 大あらしの夜、髑髏がどうなったかは書かれないまま、話は終わる
参考文献
- 岡本綺堂. くろん坊(底本:『鷲』光文社文庫、光文社、1990年。底本の親本:『異妖新篇―綺堂読物集第六巻』春陽堂、1933年。初出:『文藝倶楽部』1925年7月). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card45485.html (閲覧日:2026年10月22日)
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