
プレ男お面の怪談かあ。夜中に見たら、それだけでこわいよね。

メル美しかも、売りに出たとき、もう「目かくし」されてたんだって。
今回は、岡本綺堂の「猿の眼」です。怪談集『青蛙堂鬼談』の一編で、青空文庫の本文(底本:『影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集』光文社時代小説文庫、1988年)で読みました。初出は『苦楽』1925年(大正14年)7月です。
どんな話?
| 題名 | 猿の眼 |
| 作者 | 岡本綺堂 |
| 収録 | 『青蛙堂鬼談』 |
| 初出 | 『苦楽』1925年(大正14年)7月 |
| 語り | 青蛙堂の怪談会で4番目に話す女性。文久元年生まれ、当年65歳 |
| 舞台 | 明治のはじめの東京。上野広小路の夜店、今戸の隅田川ぞいの家 |
| 主な人物 | 語り手/父・市兵衛(俳号は羅香)/泊まり客の井田さん/もと幇間の孝平 |
青蛙堂の怪談会
- 『青蛙堂鬼談』は、ひとつの枠のなかに怪談をならべた本です。雪のふる3月3日、小石川の切支丹坂をのぼった木立ちの奥にある「青蛙堂」に客が集まり、主人の梅沢君のたのみで、ひとりずつ怪談を話していきます
- 床の間には、主人が大事にしている竹細工の三本足のがま(青蛙)。「猿の眼」は、その会で「第四の女」が語る話です
吉原から今戸へ
- 語り手の家は、代々吉原で引手茶屋をしていました。祖父も父も俳諧や書画を好み、歌麿の屏風や抱一上人の掛軸などがたくさんしまってありました
- 明治元年、世の中がひっくり返ったような不景気。さらに明治5年の「切解き」(作品の説明では、いまでいう娼妓解放)で、吉原は大さわぎになります。父の市兵衛は見切りをつけ、百何十年つづいた商売をやめました
- 父は俳諧の宗匠として暮らすことにし、小さい家にうつるので、書画や骨董もほとんど売りはらいました。明治のはじめの骨董はほんとうに「捨て売り」の時代だった、と語り手は言います
- 明治6年4月、一家は隅田川がひと目で見わたせる今戸の家へ。父は庭先の四畳半の離れに机をすえました
夜店の猿の面
- 手もとに残した数点の骨董のなかに、木彫りの猿の面がありました。前の年の12月の寒い晩、父が上野広小路の夜店で買ったものです
- 店番をしていたのは、月代をのばした40がらみの男と、9つか10ばかりの男の子。落ちぶれた士族が家の道具を売っているのだろうと、父は察しました
- 値をきくと「いくらでもよろしゅうございます」。父が三歩で買おうと言うと、相手は「二歩で結構」。父がむりに三歩にした、という、あべこべの売り買いでした
- 売り手は正直に打ちあけます。古長持の底から見つけた。箱はなく、うこん色のきれに包んであった。ふしぎなのは、猿の両眼が白い布でおおわれて、目かくしをしたように後ろで結んであったことだ、と
- 翌朝あかるいところで見ると、彫りもそれほどではありません。父は戸棚の奥へおしこんで忘れていましたが、吉原の店をしまうとき、なぜか急に惜しくなって残したのでした
泊まり客の夜
- 5月のなかば、四谷の質屋の息子で俳諧好きの井田さん(22歳)が話しこんで、雨と風が強くなり、離れの四畳半に泊まることになりました。柱には、あの猿の面がかけてありました
- 夜ふけ、離れからうなり声。見に行った父は「何か化物が出たというのだ。冗談じゃあない」と笑って戻ります
- 浅草の鐘が2時を打ったころ、またどたばたと音がして、父は雨にぬれながら、泥だらけの井田さんをかかえてきました
- 井田さんの話では、寝苦しくなって、だれかが髪の毛をつかんで引きぬくように思えた。もう一度目をさますと、暗いなかに光るものがある。柱にかけた猿の面の二つの眼が、青い火のように光ってこちらをにらんでいた
- 見とどけに行った父は、戻ってきてうなるようにため息をつきました。「どうも不思議だな」

プレ男最初は笑ってたお父さんが「不思議だな」って言うのが、いちばんこわい…。
消えた面と、辞世の句
- 翌朝は、近ごろにないほどのいい天気。父は「わたくしも見たのですから、心の迷いとか眼のせいだとかいう訳にはいきません」と言い、だから目かくしがしてあったのかもしれない、と考えます
- ところが明るいところで調べようと離れへ行くと、猿の面が消えていました。ほかの物はみな無事で、面だけがなくなっていたのです
- 井田さんはその後まもなく、ぶらぶら病で床につき、その年の10月に亡くなりました。辞世の句は、上の五文字は忘れたけれど「猿の眼に沁む秋の風」だったそうです
4年後にもどってきた面
- 明治10年3月末、吉原のもと幇間の孝平が「お旗本のお屋敷から出た、大野出目の作」という箱入りの面を持ってきました。ふたをあけると、それはあの猿の面でした
- 問いつめると、孝平は四谷の夜店で十五銭で買い、それらしい箱をこしらえて高く売ろうとしていたのでした。売り手は五十近い士族らしい男で、人相を聞くと、上野の夜店の男らしく思われます
- 父は、ほんとうに光るのかためしたくなり、2、3日あずかって、また離れの柱にかけました。病気がちだった母はいやな顔をします
- 夜12時、父がそっと離れの戸をあけた、そのとたん、次の間で母が「あっ」。だれかに丸髷をつかまれて寝床から引きずりだされたように、母は畳の上にたおれていました。戻ってきた父は言います。「猿の眼はやっぱり青く光っていた」

父が離れの戸をあけたとき、猿の眼はやはり青く光っていました。同じその時、母屋の母は、だれかに丸髷をつかまれて寝床から引きずりだされていたのです。
焼かれた面と、四谷の夜店
- 翌日、父と孝平は面をいくつにもたたき割って焼き、灰は隅田川に流しました
- その晩、二人で四谷の大通りへ売り手をたしかめに行きましたが、そんな夜店は出ていません。孝平が「ここに出ていた」と教えた場所は、ちょうど井田さんの質屋のそばでした
- 母はその後だんだん体が弱り、3年目に亡くなりました
- 語り手は最後に言います。猿の眼に何か薬でもぬってあったのではと言う人もいたけれど、それでは面が消えたり出たりしたことがわからない。井田さんの髪をかきむしり、母の髻をつかんだのが何者かもわからない、と。青蛙堂主人も、ため息まじりに「まったく判りませんな」と答えます
読みどころ
- 目かくしの面:話のはじめに出てくる、白い布で両眼をおおわれた猿の面。だれが、なぜそうしたのかは最後までわかりません。その「わからなさ」が、全体をこわくしています
- 明治はじめの東京:吉原の「切解き」、骨董の捨て売り、夜店にすわる落ちぶれた士族——時代がひっくり返ったころの空気が、怪談の背景にていねいに書きこまれています
- 子どもの目で見た夜:語り手は、はじめの夜はまだ子ども、2度目の夜は17歳。夜具をかぶってふるえ、怖いもの見たさで首を出す。大人の会話を寝床で聞く距離感が、そのまま読者の距離になっています
- わからないまま終わる:薬をぬったのでは、という説明もしりぞけて、「まったく判りませんな」で閉じる。『青蛙堂鬼談』らしい結び方です
- 古い品が人の手をめぐって因縁を運ぶ話は、同じ綺堂の「兜」にも。若侍たちが本当に化け物を見てしまう「百物語」もどうぞ。青蛙堂の床の間の三本足のがまが出てくる話には、戯曲の「青蛙神」があります
まとめ
- 「猿の眼」は岡本綺堂『青蛙堂鬼談』の一編。初出は『苦楽』1925年7月
- 青蛙堂の怪談会で、65歳の女性が子どものころの話をする
- 父が上野広小路の夜店で買った木彫りの猿の面は、見つかったとき両眼が白い布で目かくしされていた
- 泊まり客の井田さんは夜中に髪をかきむしられ、面の眼が青い火のように光るのを見る。面は翌朝消え、井田さんはその秋に亡くなった
- 4年後、面は四谷の夜店からもどってきた。母がたおれた夜、眼はやはり光っていた。面は焼かれて隅田川に流された
参考文献
- 岡本綺堂. 青蛙堂鬼談(「猿の眼」を収録。底本:『影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集』光文社時代小説文庫、光文社、1988年。初出:「猿の眼」『苦楽』1925年7月). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1307.html (閲覧日:2026年10月22日)
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