※この作品には、刃物で目をつぶす場面と、自ら命を絶つ場面が出てきます。

プレ男毎日、同じ場所で、同じ人をさがしつづける…。何年も?

メル美うん。その「さがす理由」がわかったとき、ぞっとするの。
今回は、岡本綺堂の「利根の渡」です。怪談集『青蛙堂鬼談』の一編で、青空文庫の本文(底本:『影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集』光文社時代小説文庫、1988年)で読みました。初出は『苦楽』1925年(大正14年)2月です。
どんな話?
| 題名 | 利根の渡 |
| 作者 | 岡本綺堂 |
| 収録 | 『青蛙堂鬼談』 |
| 初出 | 『苦楽』1925年(大正14年)2月 |
| 語り | 青蛙堂の怪談会で2番目に話す男 |
| 舞台 | 享保のはじめ、利根川の房川(ぼうせん)の渡し。栗橋の宿と古河の町のあいだ |
| 主な人物 | 座頭(30前後)/渡し小屋の老船頭・平助/野村彦右衛門という名の侍 |
青蛙堂の怪談会
- 『青蛙堂鬼談』は、雪の3月3日、小石川の「青蛙堂」に集まった客が、ひとりずつ怪談を話していく本です。語り手の「わたし」は、特色のある話だけをひそかに書きとめておいた、と言います
- 初対面の人が多いことや、話の性質から名前を出すのを遠慮したい場合もあるので、話し手は「第二の男」「第三の女」のように呼ぶことにする、とことわっています。「利根の渡」は、その「第二の男」の話です
渡し場に立つ座頭
- 坂東太郎とも呼ばれる利根川も、ここは船渡しで、江戸時代には房川の渡しと呼ばれていました。奥州街道と日光街道の要所で、栗橋の宿には関所があり、川を渡ると土井家の城下・古河の町です
- その古河側の岸に、30前後の座頭が立っていました。顔色は青黒く、やせて中背。夏も冬も浅黄の頭巾をかぶり、わらじばきの旅すがた
- 朝から晩まで渡し場に立っているのに、自分は決して渡ろうとしません。船頭が、渡し賃はいらないから乗れと言っても、さびしく笑って首をふるだけ。それが1年、2年、3年とつづきました
- 座頭は、乗り降りする旅人に、ひとりずつたずねていたのです。「もし、このなかに野村彦右衛門というお人はおいでなされぬか」
老船頭・平助
- 何のためにその人をさがすのか、船頭たちが聞いても、座頭は笑うばかり。どこに住み、どう暮らしているのかもわかりません
- 渡し小屋に寝起きする平助じいさんが、気の毒に思って大きな握り飯をこしらえてやると、座頭はよろこんで食べ、礼にと一文銭を置いていきました。それから毎日、握り飯と一文銭のやりとりがつづきます
- やがて平助は、目の不自由な身で毎日行き来するのは難儀だろうと、小屋に泊まるようすすめました。ひとり者の平助には、話し相手ができたのがうれしかったのです
- 一度だけ、平助はたずねました。「お前さんはかたき討かえ」。座頭はいつものようにさびしく笑って、首をふりました
夜ふけの針
- ある夜ふけ、平助がふと目をさますと、座頭は消えかかった炉の火のそばで、太い針のようなものを一心に磨いでいました。平助が身動きすると、座頭はすぐにそれをかくします
- その夜、平助は夢を見ました。座頭がそっと這いよってきて、自分の上にのりかかり、その針を左の眼につき通す——自分のうなされる声で目がさめると、座頭が手さぐりで介抱してくれていました
- それから平助は、座頭がなんとなくこわくなります。けれど自分からすすめて泊めた以上、いまさら追いだすこともできませんでした
雨の夜の鱸
- 秋の宵、昼から冷たい雨がふりつづいた夜。小屋の外で、ぴちゃぴちゃという音がしました。「何かな。魚かな」と座頭
- 平助が掬い網を持って出ると、岸の上で、3尺をこえる大きな鱸(すずき)がはねていました。抱きとろうとした平助は、尾ではねとばされて、ぬれた草にすべってころびます
- そこへ出てきた座頭は、はねる音をたよりに近づき、難なく魚をとりおさえました。小屋に運びこむと、鱸の眼には、右から左へ太い針がつき通されていました
- 「刺さりましたか、確かに、眼玉のまん中に……」。見えない眼をむきだすようにして、座頭はにやりと笑いました

プレ男暗い雨のなかで、はねる魚の眼のまん中を…。何のための稽古なんだろう。
病の床で語ったこと
- 渡し場にあらわれてからおよそ4年。2月のはじめ、座頭は風邪をこじらせて床につきます。それでも杖にすがって渡し場へ出ていきましたが、やがて起きられなくなりました
- 床の中から、座頭は平助に、毎日1尾ずつ生きた魚を買ってきてもらいます。そして針で、その眼を1尾ずつつらぬいて捨てました。魚の代金にと、平助に小判5枚を渡します
- 彼岸の入りの前日、赤城おろしが雪を運んでくる夜。座頭は、死ぬ前に聞いてほしいことがある、と話しはじめました
- 名は治平。もとは奥州のある藩の侍、野村彦右衛門の家の若党でした。22歳の春、主人の美しい妻に思いをつのらせ、雪の日、寒いだろうから炬燵にあたれと冗談半分に言われたのをきっかけに、思いを打ちあけて手をとろうとし、しばりあげられて雪の庭にさらされます
- 城から帰った主人は言いました。成敗するのは刀のけがれだから許してやる。だが、そんな料簡をおこすのも眼が見えるからだ——そして小柄をぬいて、治平の両方の眼をつきさしたのでした
- 一生の不自由な身にされた恨みを、10年、1日も忘れなかった。宇都宮で按摩の弟子になり、江戸で検校の弟子になって針を学び、暇さえあれば針で物をつく稽古をして、しまいには松葉1本でもはずさずにつけるようになった。主人は江戸と国もとを行き来するはず。この渡しで待って、その眼をつこうと決めていた。けれど、ついに出会わないうちに、自分の命が終わる——
夜明けの小屋
- 話しおえた治平は、横を向いて木枕に顔をおしつけました。夜半には雪も風もやみ、利根の川水も凍ったように音を立てません
- 朝、あまり静かなのでのぞいてみると、治平はあの針で自分の首すじをついて、亡くなっていました
- 平助は、ほかの船頭たちに手伝ってもらって近くの寺にほうむり、針もいっしょにうめました。形見の小判5枚には手をふれず、すべて永代の回向料として寺に納めます
6年後の秋
- それから6年、座頭がはじめて渡し場にあらわれてから11年目の秋。長雨で利根川があふれ、渡しは10日あまり止まりました。再開した日、待ちかねた旅人で、どの船もいっぱいです
- 古河から漕ぎだした1艘が、横波をうけて転覆しました。村の若い者たちが飛びこんで次々に助けあげ、みな正気にもどりましたが、ひとりの侍だけは、どうしても生きかえりませんでした
- 供の者の話では、その侍は奥州のある藩の野村彦右衛門。6年前から眼の病にかかり、このごろはほとんど目が見えなくなって、江戸の名医の療治を受けにいく途中だった。水練の心得もあるはずなのに、なぜ自分ひとりが、と家来もいぶかります
- 平助は、ひそかにたずねました。このお方に奥さまは。「御新造さまは遠いむかしに御離縁になった」。それ以上は聞けませんでした
- 平助は近くの寺へ行き、あの座頭の墓に、秋草の花をそなえて帰りました

座頭が亡くなってから6年。渡し船の転覆で、ほかの乗合いはみな助けられたなかで、ただひとり亡くなった侍は、野村彦右衛門でした。6年前から眼の病で、ほとんど目が見えなくなっていたといいます。
読みどころ
- 名前を呼びつづける声:「野村彦右衛門というお人は」——前半はこの問いかけだけがくりかえされ、理由は最後まで明かされません。その沈黙が、静かなこわさを生んでいます
- 鱸の眼の針:雨の夜、暗がりで魚の眼をつらぬいた座頭のひとこと。何のための稽古なのか、読者は平助といっしょにぞっとします
- 「6年」という数字:座頭が亡くなってから6年。彦右衛門が眼をわずらいはじめたのも6年前。作品はそれを並べるだけで、何も説明しません
- 平助の正直さ:こわいと思いながらも看病し、小判には手をふれず、最後に墓へ秋草をそなえる。恨みの話のなかで、平助のやさしさが救いになっています
- 待ちつづけた者の執念が、何年もたってから相手にとどく話は、田中貢太郎の「累物語」にも。同じ『青蛙堂鬼談』の「笛塚」、川の淵の底をさぐる綺堂の「鐘ヶ淵」もどうぞ
まとめ
- 「利根の渡」は岡本綺堂『青蛙堂鬼談』の一編。初出は『苦楽』1925年2月
- 享保のはじめ、利根川の房川の渡しに、何年も毎日立ちつづける座頭が「野村彦右衛門」をさがしていた
- 渡し小屋の老船頭・平助が泊めてやると、座頭は夜ふけに太い針を磨ぎ、雨の夜には鱸の眼をつらぬいた
- 死の床で語られたのは、もとの主人に両眼をつぶされた雪の日のことと、その眼をつくための長い稽古だった
- 座頭の死から6年後、渡し船の転覆で、目をわずらった野村彦右衛門だけが亡くなった
参考文献
- 岡本綺堂. 青蛙堂鬼談(「利根の渡」を収録。底本:『影を踏まれた女 岡本綺堂怪談集』光文社時代小説文庫、光文社、1988年。初出:「利根の渡」『苦楽』1925年2月). 青空文庫. https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/card1307.html (閲覧日:2026年10月22日)
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