
プレ男「世界最初の人権宣言」って呼ばれる粘土のかたまりがあるって聞いたんだけど、ほんと?

メル美「キュロスの円筒」だね。2500年以上前のペルシャの王さまの言葉なんだって。でも「人権宣言」と言い切れるかは、ちょっと話が複雑みたい。
今回は「キュロスの円筒」です。所蔵は大英博物館(ロンドン)。2013年に大英博物館がこの円筒をアメリカで巡回展示したときの、スミソニアン協会(アーサー・M・サックラー・ギャラリー)の報道発表と、最後の会場になったJ・ポール・ゲティ美術館(ゲティ・ヴィラ)の展覧会ページで確かめました。
プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 年代 | 紀元前539年より後(バビロン征服のあと) |
| 素材・形 | 粘土(テラコッタ)の、たる形の円筒 |
| 大きさ | 長さ約22〜23cm、直径約8〜10cm(スミソニアンの表記は直径7.8〜10cm・長さ21.9〜22.8cm、ゲティの表記は22.9×10cm) |
| 文字 | バビロニア語の楔形文字 |
| 見つかった場所・年 | バビロン(いまのイラク)、1879年 |
| 所蔵 | 大英博物館(所蔵番号 ME 90920) |
- スミソニアン協会は、大きさを「フットボールくらい」と紹介しています
何が書いてある?
- ゲティ美術館の解説によると、円筒には、紀元前539年にペルシャの王キュロス大王(在位 紀元前559〜530年)がバビロンを征服したことが記されています
- キュロスは自分の言葉で、バビロンを手に入れたあと、宗教の伝統をもとに戻し、移住させられていた人々が、バビロニアとその周りの元の土地に帰ることを許したと語っています
- スミソニアン協会の発表では、円筒は、キュロスの勝利と、敗れた王ナボニドゥスによって住む土地を追われた人々に礼拝の自由を認めるつもりであることを告げている、と説明されています
- ただし、同じ発表は、当時こうした宣言はめずらしくなかったとも書いています。キュロスのものが特別だったのは、その中身と範囲だった、という見方です

プレ男勝った王さまが「みんな、ふるさとに帰っていいよ」って言ったんだ。
なぜ「地元の言葉」で書いたのか
- ゲティ美術館は、キュロスがバビロンの人々にペルシャのやり方を押しつけず、その伝統を守ろうとしたことが、円筒そのものからわかる、としています
- ひとつは、文章が地元の言葉であるバビロニア語で書かれていること
- もうひとつは、円筒がバビロンの建物の基礎に埋められたことです。これはこの地域のならわしで、神々の恵みを得て、王の業績を後の世に残すためのものでした
- ゲティ美術館は、キュロスがこうした昔からのならわしに従うことで、手に入れたばかりの権力を正当なものに見せようとした、と解説しています
「宣伝」でもあった
- スミソニアン協会の発表によると、円筒を刻んだバビロニアの書記は、キュロスの勝利をバビロンの神マルドゥクのおかげだとしています
- 発表はこれを「王と宗教の宣伝(プロパガンダ)とも考えられる」と書いています
- 円筒のメッセージは、それを作った人たち自身から始まって、何千年ものあいだ、さまざまに利用され、解釈しなおされてきた、とスミソニアン協会は説明しています

メル美やさしい王さまの言葉でもあり、新しい支配者の「自己PR」でもあったんだね。
聖書と、ギリシャの歴史家
- ゲティ美術館によると、キュロスは円筒が見つかる前から、情け深く気高い王として知られていました
- ギリシャの歴史家クセノフォン(紀元前430〜354年ごろ)は『キュロスの教育』で、キュロスを理想の指導者として描きました
- 旧約聖書も、バビロンでのユダヤ人の捕囚を終わらせた王としてキュロスをたたえています
- スミソニアン協会は、円筒を、聖書の「エズラ記」など同じ時代のほかの資料とあわせて読むと、キュロスがユダヤ人のエルサレムへの帰還を許したことがはっきりする、としています
- また、『キュロスの教育』は、アレクサンドロス大王や、ずっと後のトマス・ジェファソン(アメリカ独立宣言の起草者)にも大きな影響をあたえた、と紹介しています(アメリカ独立宣言もどうぞ)
1879年の発見と、その後
- 円筒は1879年にバビロンで見つかりました。ゲティ美術館によると、その文章は、ヘンリー・ローリンソンが1880年に発表しています
- スミソニアン協会の発表によると、発見されるとすぐ、円筒は聖書に書かれた出来事が本当にあった証拠として、世の中の議論のまとになりました
- 20世紀のはじめには、イスラエル建国を支持する人たちが、ユダヤ人のエルサレムへの帰還を認めたイギリス国王ジョージ5世の行いを、キュロスになぞらえたこともありました
- 2010年にイランに貸し出されたときは、100万人をこえる人が見に来て、イランの歴史でもっとも多くの人が訪れた展覧会のひとつになりました
「最初の人権宣言」と国連本部の複製
- スミソニアン協会は、円筒が「最初の人権宣言(the first bill of human rights)」と呼ばれることもある、と紹介しています
- キュロスの寛容・正義・信仰の自由の宣言は、古代ギリシャからルネサンス、アメリカ建国の父たち、いまのイランまで、多くの思想家や政治家に影響をあたえ、複製がニューヨークの国連本部に置かれている、とも書いています
- キュロスのもとで、ペルシャ帝国はそれまでの世界でもっとも大きく、もっとも多様な国になりました。後の世代の王たちは、それを、たくさんの文化・言葉・遠い距離をこえて国をまとめる理想の手本と考えました

スミソニアン協会は、キュロスの円筒が「最初の人権宣言」と呼ばれることもある一方で、勝利を神マルドゥクのおかげとする書き方は「王と宗教の宣伝」とも考えられる、と紹介しています。
2013年のアメリカ巡回展
- 円筒は2013年3月9日、ワシントンのスミソニアン協会アーサー・M・サックラー・ギャラリーで、アメリカで初めて公開されました(4月28日まで)
- 展覧会「キュロスの円筒と古代ペルシャ」は、大英博物館がイラン・ヘリテージ財団、サックラー・ギャラリーと組んで企画したもので、そのあとヒューストン美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、サンフランシスコのアジア美術館をまわり、ロサンゼルスのゲティ・ヴィラでの9週間の展示で幕を閉じました
- 会場には、円筒のほかに、アケメネス朝ペルシャ(紀元前550〜330年)の建築の断片や印章、「オクサスの遺宝」の金の装飾品なども並びました
まとめ
- 紀元前539年、ペルシャの王キュロス大王がバビロンを征服したことを、バビロニア語の楔形文字で記したたる形の粘土の円筒
- 宗教の伝統をもとに戻し、移住させられた人々が故郷へ帰ることを許したと、キュロス自身の言葉で語る
- 地元の言葉で書き、建物の基礎に埋めるという地元のならわしに従った。勝利を神マルドゥクのおかげとするのは、王の宣伝でもあった
- 1879年にバビロンで発見。大英博物館の所蔵。「最初の人権宣言」と呼ばれることもあり、複製が国連本部に
- 同じペルシャの王の碑文はベヒストゥン碑文、古代メソポタミアの法律はハンムラビ法典、3つの文字で刻まれた石はロゼッタストーンもどうぞ
参考文献
- Smithsonian Institution. Cyrus Cylinder Launches U.S. Tour March 9 at Smithsonian’s Sackler Gallery(2013年). https://si.edu/newsdesk/releases/2600-years-world-history-one-iconic-object (閲覧日:2026年10月22日)
- Freer Gallery of Art and Arthur M. Sackler Gallery. Press release: The Cyrus Cylinder(2013年). https://archive.asia.si.edu/press/2013/cyrus-cylinder.asp (閲覧日:2026年10月22日)
- J. Paul Getty Museum. The Cyrus Cylinder and Ancient Persia: A New Beginning(Getty Villa Exhibitions, 2013年). https://www.getty.edu/art/exhibitions/cyrus_cylinder/ (閲覧日:2026年10月22日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。