
プレ男角のあるヘビの神さま!? こわそう…。

メル美『常陸国風土記』では、人と神さまが「ここから上は神の土地、ここから下は人の田」と、さかいを決めたんだって。
こんにちは、Dr. Taro です。 神話の解説、今回は日本の『常陸国風土記』にある夜刀の神です。『常陸国風土記』の原文(ウィキソースの「古風土記/常陸國風土記」)から、行方郡の条を読みました。同じ風土記の福慈の岳と筑波の岳もどうぞ。日本神話の全体は日本神話の入門へ。
プロフィール
| 夜刀の神 | 「ヘビを夜刀の神という。その形は、ヘビの体で、頭に角がある」(原文の注) |
| 言い伝え | にげるとき、その姿を見た人がいると、その家はほろび、子孫がたえる、とされた |
| すむところ | 郡のあたりの野原に、とても多くすんでいた |
| 麻多智 | 箭括氏麻多智。石村玉穂宮の天皇の時代の人 |
| さかいの杭 | 「ここから上は神の土地、ここから下は人の田」 |
| のちの話 | 壬生連麿が池をつくった。その池は椎井池とよばれる |
1. 葦原をひらく
- 「古老の伝えでは、石村玉穂宮で大八洲をお治めになった天皇の時代、箭括氏麻多智という人が、郡の西の谷の葦原を切りひらいて、新しく田をつくった」
- 「そのとき、夜刀の神が、むれをなしてひきつれ、ことごとくやってきて、左右からじゃまをし、田をたがやさせなかった」
- 原文の注は、「ヘビを夜刀の神という。その形はヘビの体で、頭に角がある」と説明し、さらに、「にげるときに、その姿を見た人がいると、家はほろび、子孫はつづかない」という言い伝えを書いています
2. さかいの杭
- 麻多智は大いに怒り、よろいを身につけ、自分で杖をとって、夜刀の神たちを追いはらい、山の入り口まで行きました
- そこで、しるしの杭を立て、さかいのみぞをほって、夜刀の神に告げました。「ここから上は、神の土地としてゆるそう。ここから下は、人の田にしなければならない。これからのち、わたしが神主となって、いつまでもうやまっておまつりしよう。どうか、たたらず、うらまないでほしい」
- そして社をつくって、はじめてまつりました。麻多智は、ふたたび田を十町あまりひらき、その子孫が代々まつりをうけつぎ、「いまにいたるまでたえない」と書かれています

メル美追いはらうだけじゃなくて、神さまの土地をのこして、ずっとおまつりするって約束したんだね。
3. 池をつくった壬生連麿
- のち、難波長柄豊前大宮の天皇の時代に、壬生連麿がその谷をはじめて自分のものとし、池の堤をきずかせました
- そのとき、夜刀の神が、池のほとりの椎の木の株にのぼってあつまり、いつまでも去りませんでした
- 麿は声をあげて言いました。「この池をつくるのは、人々を生かすためだ。どんな神が、教え(原文は「風化」)にしたがわないのか」。そして、はたらく人々に、おそれずに追いはらうよう命じました
- すると、「神のヘビは、さけてかくれた」と書かれています。その池は、いま椎井池とよばれ、池のまわりの椎の株のところから清い泉がわき出るので、井の名をとって池の名にしたのだ、といいます

プレ男神の土地と人の田、そのさかいが、だんだん人のほうへ広がっていったんだね。

『常陸国風土記』では、麻多智は杭を立てて「ここから上は神の土地、ここから下は人の田」と告げ、社をつくって夜刀の神をまつり、その子孫が代々まつりをうけついだ、と書かれています。
まとめ
- 夜刀の神は、ヘビの体で頭に角のある神で、行方郡の野原に多くすんでいた
- 箭括氏麻多智が谷の葦原を田にしようとすると、夜刀の神がむれをなしてじゃまをした
- 麻多智は神々を山の入り口まで追いはらい、杭を立てて「上は神の土地、下は人の田」と告げ、社をつくってまつった
- のちに壬生連麿が池をつくると、神のヘビはさけてかくれた。その池は椎井池とよばれる
- 同じ風土記の福慈の岳と筑波の岳、『出雲国風土記』の国引き、三輪山の神オホモノヌシもどうぞ
参考文献
- 『常陸國風土記』(行方郡の条). ウィキソース(古風土記/常陸國風土記). https://zh.wikisource.org/wiki/古風土記/常陸國風土記 (閲覧日:2026年10月12日)
この記事は一般的な情報提供を目的としたもので、個別の診断・治療に代わるものではありません。 気になる症状や不安がある場合は、医療機関にご相談ください。
